青山霊園
青山霊園(あおやまれいえん)は、東京都港区南青山二丁目にある東京都立の霊園である。
面積は約26haで、明治に入り会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地(青山霊園立山地区)が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。
1872年(明治5年)、美濃郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主・青山家の下屋敷跡に開設された。当初は神葬祭墓地であった。1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地となった。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管された。1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となった。現在は東京都の所管である。(wikipediaより)
所沢航空発祥記念公園を出て東京に戻ります。
途中なんか食おうかなーとか考えつつも食べ損ね、そのまま次の目的地「東郷元帥記念公園」へ向かったのですが・・・
なんと公園が工事中!! orz
下の広場は賑わってたのですが上の部分は完全に作業中です。こういうこともあるんですな…とりま気を取り直して次の場所へ向かいます。…工事中かぁ…
公園から10分程の距離ですが、次の目的地「青山霊園」へ向かいます。青山霊園は以前畝傍・千島の慰霊碑を訪ねて4年前にお伺いした以来ですが…
うん、やっぱりデケェな青山墓地。
バイクを停められそうな場所に駐車して今回も歩きます。なんかお墓参りばっかりやってるな今旅(=゚ω゚)
そんな感じで先ずは下のほうにあります「広瀬武夫中佐墓碑」へ。広瀬中佐に関しては大分県竹田市の 広瀬神社や広瀬武夫記念館、墓碑や生誕の地碑等関係地を巡らせていただいております。
そんな感じで問題なく見つかりましたので、広瀬中佐とその兄の勝比古少将の墓碑に手を合わせ、焼香と慰霊の念を送りました。
そこから今度は墓地の上部へ歩いていきます。結構暑いっス。
こちらも多磨霊園に負けず劣らずの大きさなのですが、途中「忠犬ハチ公の碑」なんかも見つけながらぼちぼち歩きます。
次は航空母艦「飛龍」の艦長としても勇名を馳せた「山口多聞海軍中将墓碑」です。
色々と逸話の多い方ですが、同じように真摯に慰霊の念を送らせていただきました。
そこから更に上部へと足を運びます。
かなり奥にあります「乃木将軍通り」と呼ばれる通路へ。ということは、つまり、
そう、ここが「乃木希典陸軍大将墓碑」でございます。
今まで山口県乃木神社、香川県乃木神社、京都府乃木神社と御縁あって参拝させていただきましたので御本人の墓碑も是非にと参拝させていただいた次第です。手を合わせて全ての墓碑に慰霊の念を送らせていただきました。
この後は少し早いですが宿へ戻りまして、この日の最終目的地でしたTwitterのFFさんのお店「エノテカダイナー」さんにて夕食をいただきます。
いやなんていうか「も、最高」と言った感じ。
次の日も朝イチでの出撃でしたのでお酒は控えめだったのですが、序盤美味しすぎて写真を撮るのを忘れるくらい夢中でいただきました。また東京に来るときは是非お伺いしたいっス!