乃木希典
乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、陸軍軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。(wikipediaより)
乃木神社
乃木神社(のぎじんじゃ)は、明治時代の大日本帝国陸軍大将、乃木希典を祀った神社。日本国内に複数の乃木神社がある。乃木の出身地の下関市や別邸のあった那須塩原市など、乃木ゆかりの地に多い。
栃木県内に同じ読みの野木神社があるが、野木神社は伝承によれば4世紀ごろ創立された神社で、乃木神社とは由来は全く異なる。ただし、乃木希典は自身の姓と読みの同じ野木神社を特別な神社だと考え、数回参拝したほか奉納も行っている。(wikipediaより)
吾妻 (装甲巡洋艦)
吾妻(あづま)は、大日本帝国海軍が日露戦争前にフランスのロワール社から購入した最初期の装甲巡洋艦。艦名の由来は福島県北部の吾妻山。本艦は六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で八雲型に次いで整備された艦である。日露戦争においては、航続力と速力を活かし、上村艦隊の主力として活躍した。(wikipediaより)
えー、世間はオリンピックで大賑いの今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
自分はオリンピックで移動しました祝日を使い、3連休にて久しぶりの…本ッ当に久しぶりの(血涙)長距離ツーリングに出かけて参りました!
局所的な大雨と35度近い暑さが少し心配でしたが、相棒に跨りワクワクしながらフェリーに乗り込みます。なんかもう夜眠れないレベルのウキウキ加減。大丈夫かワイ(=゚ω゚)
早朝のフェリー乗り場から涼しい間に大移動、京都市内にあります「乃木神社」へ到着です。乃木神社は今まで山口の乃木神社と香川県護国神社に併設してあるとこは行っております。結構全国的にあるっぽい。
まだ7時前で誰もいない境内にお邪魔します。
境内に色々ありましたが先ずは本殿にご挨拶。隣には「勝水」という名水とさざれ石がありまする。さざれ石も割とどこにでもあるなぁ。
そして少し戻りまして乃木将軍の胸像やその他ゆかりの名所を拝見。
乃木将軍の長府での住処や記念館(早朝にて閉館)があってなかなか興味深いっス。確か山口の乃木神社には幼少の頃の住居があったような。
そして入口まで戻りまして左手にありますのは…
「忠魂碑」「英霊慰霊碑」「滄海に眠る若人の碑」が。
若人の碑の裏には戦艦「吾妻」の主錨が鎮座しております。
其々に手を合わせて慰霊の念を送りました。
そしてそこから大移動。夏っぽい天候の下、目一杯ツーリングを楽しみながら長野県に突入です。日差しはスゲェ強いのですがバイクで走ってる間は風が冷たくて超気持ち良い…
今回もソーシャルでディスタンスなアレは継続中なので、お昼はSAで牛タンバーガーと五平餅を所望します。うーん、素敵な牛タン味と餅の味。
そして、あっという間にお久しぶりな有明山神社へ。
相変わらず大人気な麓の蕎麦屋さんを横目に参拝します。こっち全然人居ねぇなぁ…まぁ良いんですけど。
今回なんで再びこちらに参拝したかと申しますと、
実は前回、この「有明山神社 駆逐艦有明 御分霊記念塔」へ参拝してなかったのですよ…後で確認して「これは行かねば」と再度来訪した次第です。
改めて手を合わせ、慰霊の念を送りました。
こんな感じで今回の夏旅スタートです。
俺たちの旅はまだ始まったばかりだ!(8ヵ月ぶり15回目)