松尾敬宇
松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年〈大正6年〉7月21日 - 1942年〈昭和17年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵66期。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。(wikipediaより)
特殊潜航艇によるシドニー港攻撃
特殊潜航艇によるシドニー港攻撃(とくしゅせんこうていによるシドニーこうこうげき)とは、太平洋戦争中の1942年5月31日に、オーストラリアのシドニーの沖合いで母艦の潜水艦を発進した日本海軍の特殊潜航艇3隻が、シドニー港に停泊中の連合軍艦船に対して行った攻撃である。
同時に行われたインド洋のマダガスカルの戦いと連動した攻撃で、連合国の主要国であったイギリス連邦間の通商破壊を目的とした。
特殊潜航艇のうち1隻はアメリカ海軍の重巡洋艦「シカゴ」を魚雷により攻撃したが、魚雷は目標をそれてオーストラリア海軍の宿泊艦「クッタブル(HMAS Kuttabul)」を沈没させ、その隣にいたオランダ海軍の潜水艦「K IX(K IX)」を撃破し、クッタブルの乗船者19人が死亡した[2]。特殊潜航艇はシドニー湾の南方40キロメートルの地点で母艦に回収される予定だったが、3隻とも帰還できなかった。(後略)(wikipediaより)
菊池神社 (菊池市)
菊池神社(きくちじんじゃ)は、熊本県菊池市に鎮座する神社である。南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏の3代を祭る。建武中興十五社のうちの一社である。旧社格は別格官幣社で現在神社本庁の別表神社。
境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されている。桜の名所としても知られている。(wikipediaより)
こんにちは。連休出ずっぱりですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨日は長崎、今日は熊本・・・と言う感じで、自分は熊本県菊池市周囲にあります「松尾敬宇」中佐関連の慰霊碑を巡ってまいりました。
松尾中佐はあまり知られていませんが、シドニー湾に対して特殊潜航艇(甲標的)にて攻撃を行い、戦死の様を当時のオーストラリア海軍より称賛された経緯があります。
それは兎も角しても超好天。
熊本北部と言ってもかなり辺鄙な場所ですが、ツーリングにはもってこいのシチュでございます。未舗装でほっそい道を注意しながら第一目標地点へ。
最初は「松尾敬宇海軍中佐の碑」へ。畑の外れにありますが、とても綺麗にしてある記念碑と墓碑が並んでおります。ちなみに記念碑の表は英語、裏は日本語となっておりまして、後ろでたなびく日豪国旗が感動的ですらあります。墓碑にご焼香して手を合わせ慰霊の念をお送りしました。
そしてここから10分程、三玉小学校前にあります「殉国之碑」(地区の戦没者を祀った碑)へ到着です。
こちらもとても綺麗にされている慰霊碑で、碑文には松尾中佐の名前も記してあります。両碑に手を合わせ、同様に慰霊の念をお送りしました。
そしてここから更に30分程。今度は菊池市にあります「菊池神社」へお邪魔します。駐車場にバイクを停め、そのまま参道を登って行ったのですが…
えー菊池一族、なんかスゲェ事になってますけど大丈夫なんでしょかこれ(=゚ω゚)
後述しますが資料館で見た菊池一族の皆様はこんなに耽美じゃなかったような…おっきなお姉さま方に人気の出そうな一族像を傍目に見ながら本殿にご挨拶。
そこそこ参拝者も多く、結構な賑いの中を参拝します。さっきの菊池一族の事はちょっと置いといて真面目に手を合わせ…アレ神社公認なんだよなぁ…
本殿右手奥には目的の一つでありました「松尾中佐の胸像」が。
手を合わせて慰霊の念を。どうか安らかにお眠りください。
そして本殿左には「菊池神社歴史館」があります。
社務所の方にお金を払い、歴史館を見学します(館内写真撮影不可)。
中は歴代菊池一族の解説(not耽美)や実際使われたと思われる刀剣鎧類、その他書簡や神社の概要等興味深い展示が多々ありまして時間を忘れて見学します。
更にその奥には松尾中佐が実際使われた制服、シドニーから返還された千人針、その他書簡等が展示してあり非常に勉強になりました。
こんな感じで松尾中佐関連の見学をした後はそのまま熊本の山ン中へバイクで突撃し、飲食を忘れて夕方までツーリングを楽しんだ次第です。夕方食べたあんまんの美味いこと美味いこと…