三式戦闘機
三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、1943年(昭和18年)に制式採用された高速戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。
当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機であり、ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した。防弾装備のない試作機は最高速度590km/hを発揮した。主翼より後部の機体下部にラジエーター・ダクトを搭載し、機体の空気抵抗低下と冷却効率の両立を図った。
しかし量産機では防弾装備や燃料タンク等を追加したため、低速化してしまい、アメリカ軍に「もっとも食いやすい(つまりアメリカ軍にとっては攻撃し易い)戦闘機」という印象を与えている。
また基礎工業力の低かった当時の日本にとって不慣れな液冷エンジンハ40は生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。ハ40の性能向上型であるハ140のエンジン生産はさらに困難であり、これを装備する予定であった三式戦闘機二型はわずか99機しかエンジンが搭載できず、工場内に首無しの三式戦闘機が大量に並ぶ異常事態が発生した。
泉州磐船神社
当神社は、航空に関する安全・ご祈祷をさせていただいておます。
当神社は、関西国際空港建設を契機として昭和58年12月10日に新しく設立された神社です。
大空の守り、航空の安全、航空日本の樹立を目的とし、企業から個人まで、数多くの方の空の安全をご祈願しております。(公式HPより)
えー最初にお知らせを。
以前何度か参拝させていただいております「佐賀関海軍墓地」ですが、地元の方々のお力と働きかけで道が整備されたとのことです!
ご興味のある方、お近くにいらっしゃる方は是非ともお寄りいただければ幸いです。
自分も近いうちにお伺いする予定です。
以上お知らせでした。
閑話休題。
というわけで最終局面、とうとう大阪に戻ってまいりました。
なんか滋賀県抜けて京都に入ったあたりから死ぬほど湿度と熱気が高くなってる気が…時々水分を入れながら、先ずは「いきいきセンター交野」へ到着です!
表では炎天下に子供のチアガールみたいな催しやってたり、館内でも色々な球技やってたりと暑いのに頑張ってんなぁと半分煮えた脳みそで認識しながらの突入。裏の駐車場の日陰にバイクを置けたのでその点だけ少し安心です。
そして入ってすぐの右側。
「三式戦闘機『飛燕』」の機関砲・エンジン等でございます。
完全体は以前「かかみがはら航空宇宙博物館」で見たと思うのですが、こちらはすぐ近くで工事中に発見されたものらしいです。周囲の目を気にせず張り付くように見学させていただきました。
冷房の効いた館内で水分補給とトイレをお借りした後、むせるように暑い大阪府内をバイクで縦断します。なんかこの辺走ってても全く涼しくないんですが…
ここは日本でも珍しい航空安全に関する神社との事。鳥居にプロペラ着いてたり境内にヘリコが飾ってあったりと結構ビックリな感じです。とりあえず本殿にご挨拶して…空路はあんまり使わないので陸路のほうの安全をお祈りします(^^;
次は社務所のほうにご挨拶しまして、本殿下にあります「航空資料館」を見学させていただきます。入口前からインパクト満点ですw
なんかもぅ新旧かまわず航空関連の資料が所狭しと展示してあります。
新しいものはよくわからない自分ですが、飛燕や零戦の部品なんかは興奮気味に拝見させていただきました。スゴイっスわここ…
そんな感じで最後の場所も拝見した後は、ご挨拶をして近くのファミレスでかき氷&ドリンクバー&軽食。人が少ないのを良いことに炭酸水を5杯一気飲みし「もしかしてワイ脱水症状だったんじゃないか」と思いをはせながらフェリー時間まで休憩しました。
これで今回の久しぶりな長距離ツーリングは全巻の終了でございます。
コロナの合間を縫っての旅行になりましたが、やっぱりバイクで長距離乗るのはスゴイ楽しいなぁと再確認の道程でした。
次は8月末にまた富士へお伺いする予定。その前に佐賀関海軍墓地にもまた行きたいっス。