艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その341 黒石原(飛行場)奉安殿跡 & 黒石日吉神社(熊本県合志市)———— 2022年 10月23日

航空機乗員養成所

初期の航空機は貨物を運ぶにはパワー不足であり、民間航空機の主要な役割は従来の手段を使うよりも早く郵便物を運ぶ郵便機であった。このため航空業務の管轄は郵便を司る官庁となっていた国も多く、日本では1923年に陸軍省から逓信省航空局に民間航空の業務が移管されていた。

(中略)

1938年昭和13年)から順次地方航空機乗員養成所が全国に15ヵ所設置された。1939年昭和14年)には中央航空機乗員養成所が設置された。1943年昭和18年)地方航空機乗員養成所は航空機乗員養成所と改称され、中央航空機乗員養成所は高等航空機乗員養成所に改称された。(wikipediaより)

棚橋真作

棚橋眞作 命は陸軍士官学校卒業(第二十八期)後、歩兵三十五連隊に配属され、シベリヤ出兵に参戦、歩兵第三十六連隊長を歴任、歩兵第七連隊大隊長として、上海付近及び南京付近の戦闘に参加し、武功抜群により上海派遣軍司令官 松井石根大将より個人感状を授与される。

殊勲甲 金鵄勲章 功三級

昭和十六年八月 陸軍大佐に任ぜられ、昭和十七年三月 歩兵第百十二連隊長(丸亀連隊)を拝命し、ビルマ戡定作戦を達成し、次いで第五十五師団の基幹部隊として第一次アキャブ作戦(三十一号作戦)にて「インデン」付近で英軍第六旅団を殲滅した。

また第二次「アラカン」作戦(ハ号作戦)に於いては「シンゼイワ」に敵第七師団を包囲し、弾薬糧食等の欠乏にも拘らず、勇戦敢闘された。

後、マラリヤに罹り内地帰還、昭和二十一年二月十三日 熊本県菊池郡西合志町黒石にて自決された。(大東亜戦争で散華した英霊に捧ぐ 殉國之碑/祖国日本より)

 

 

良い感じで涼しくなってきた時分、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日は割と天候も良さそうですので、先日HONDAドリーム東福岡でおススメされました「HondaDreamCafe」を覗きつつ熊本の遺構を巡ってまいりました。

 

昼過ぎに着いて割と閑散とした雰囲気だったのですが、いただいたコーヒーやお菓子を食いつつ焼きいもソフトなんかを食っておりましたら超大盛況に。

結構楽しくはあったのですが、ワイと同型機のCBR600RR(最終型)は1台しか見かけなかったのにCBR1000RR-Rが3台いたのは一寸アレでございました(超個人的感想)。

 

 

人が増えてきた瀬の本ドライブインを後にし、やまなみハイウェイ阿蘇スカイラインをゴキゲンにハシゴします(結構寒い)。久しぶりにこの道通りましたけどやっぱいいなぁ(=゚ω゚)

 

そんな感じで90分ほど走った先、陸上自衛隊の人達が草刈りしてるっぽい駐屯地を横目に「黒石原コミュニティセンター」へ到着です。この場所の近所に目的地がある筈・・・あ、あった。

 

 

 

 

正面の駐車場裏にありますのが「黒石原(飛行場)奉安殿跡」です。

奉安殿に関してはつい先週行ったのも記憶に新しいのですが、こちらも熊本県で唯一残った奉安殿跡との事。戦後GHQの指令で壊されたらしいですがもったいないなぁ。

写真にある通り以前は大理石で囲ってあったらしい周囲も今は見る影もありません。もっちっと保護してくれてもいいのよ?

 

 

一通り拝見した後は、ここからバイクで5分ほど先にあります「黒石日吉神社へ。

 

 

 

此方は護国神社というわけではないのですが、阿南惟幾陸軍大将をはじめ多くの軍人が戦後自決されておりまして、ここ「黒石日吉神社」本殿前でも棚橋真作陸軍大佐が自決されたとの事です。色々な思いはありますが、せめてもの慰霊ということで手を合わせて慰霊の念を送りました。

 

 

短い時間でありましたがこの後は仕事場に戻ってバイク整備。

冬も間近になりつつある秋の阿蘇ツーリングでした。