高宮町のユクリ墓地内の海軍砲弾と機械水雷
彦根市高宮町のユクリ墓地内に保管されている海軍の砲弾(直径28㌢)と機械水雷(直径約1㍍)について解説した説明碑(高さ1㍍×幅24㌢)が同墓地内に設置。10日に除幕式が開かれた。
高宮町遺族会の北川國男さん(73)が戦後70年に合わせて、これからも平和が続くことを願って設置。北川さんが説明文を作り、高宮町の田中家石材が碑を製造した。
北川さんによると、砲弾と機械水雷はいずれも日露戦争(1904年)時に作られたとされ、同墓地内には2つずつある。
砲弾は当時の陸軍大将・乃木希典が二〇三高地を攻撃している際、日本海戦で勝利した元帥海軍大将・東郷平八郎が戦艦・三笠の大砲を送り、乃木がそれで攻撃して二〇三高地を攻略した時に使われた同種の物だという。機械水雷は東郷がロシアのバルチック艦隊の日本海侵入を阻止するため、津軽海峡に浮遊させた物だという。
いずれも火薬などは取り除かれているといい、いつから誰が同墓地に保管していたかは不明だが、大東亜戦争時にはすでに同墓地内にあったという。同墓地には日清戦争(1894年~95年)から大東亜戦争までに亡くなった高宮町内の戦没者180数人が祀られており、砲弾と機械水雷は戦没者の名が刻まれた慰霊碑前に保管。2年に1度、北川さんがペンキを塗って維持してきた。
除幕式には高宮町遺族会の会員や地元の市議ら20人が参加。高宮町の妙蓮寺の平塚志磨人住職が読経した後、北川さんが「この砲弾と機械水雷をこれからも末永く守っていくため、子や孫にお願いしておいてほしい」と話し、参列者全員で「ふるさと」を歌った後、合掌して慰霊していた。(滋賀彦根新聞より)
滋賀県平和祈念館
滋賀県平和祈念館は、「モノと記憶の継承」「自らできることのきっかけづくり」「県民参加型の運営」をコンセプトに、県民の戦争体験を語り継ぎ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、平和をねがう豊かな心を育むための拠点となる施設です。(滋賀県HPより)
愛知を抜けて1時間。そろそろ水分切れでどっかで水飲まんとなーとか考えながら、暑い中を楽しくツーリング。割と脱水症状になりやすい環境ですんでこまめに水分摂ってます。
そんな感じで炎天下の滋賀県は高宮町・ユクリ墓地へ到着です!
こちらは戦病死者墓地という事で、先ずは正面にあります慰霊碑へご焼香と慰霊の祈りを送ります。どうか安らかにお眠りください。
そして慰霊碑の両サイド…
機雷と砲弾が綺麗な状態で保存してありました。新聞記事にあります説明碑も拝見し、改めて平和への願いに手を合わせます。どうか平和が続きますように。
そして次も滋賀県内、「滋賀県平和祈念館」へ到着です!大体1時間くらい。
こちらは屋根付きの二輪置き場があり超助かりました。日陰にバイクを隠しながら、平和祈念館を拝見します。
入ってすぐ右側には大きなプロペラが。最初はこれを見に来た気分だったのですが・・・
いや、素晴らしいですわここ。
展示のバランス感覚と言い、企画展示の切り口と言い、滋賀県という地域にフィットさせた内容の選別が半端ないっス。自分が滋賀県に住んでたら絶対子供を月1で連れてきたくなるレベルの祈念館でございました。
最奥には「滋賀県の戦跡パネル展」という、その手の人にはたまらないパネル展示も。
予定以上に時間を使ってしまいましたが、勉強させていただきありがとうございました。
とうとう滋賀県も抜け、フェリー乗り場のある大阪に戻ります。