海軍墓地
海軍墓地は、旧日本海軍の墓地。正式には海軍埋葬地と呼ばれ、各墓地の多くは●●葬儀場と名付けられている。陸軍墓地、官修墳墓、忠霊塔に類似する。日本の慰霊施設、招魂社、護国神社も参照。(神殿大観より)
臼杵護国神社
臼杵護國神社は明治11年(1878)創立の招魂社(昭和14年(1939)4月1日臼杵護国神社となるが、終戦後は招魂社と称した)を明治12年(1879)創立の稲葉神社に昭和35年(1960)合併。稲葉神社を臼杵護国神社と名称を変更した。
旧招魂社は明治10年(1877)西南の役で薩摩軍が臼杵に侵入した時、旧臼杵藩士の日下東命等らが臼杵隊を組織して防戦したが遂に破れ、43名の戦死者を出した。明治11年(1878)6月有志が戦死者の霊を祀るため、臼杵城址に一社を創建した。
以後、臼杵町に本籍がある者、或いは縁故ある者で、戦時又は事変で戦死し、靖国神社に奉斎された者すべてを合祀した。又市政施行により合併した旧六ヶ村の戦没者も合祀した。
旧稲葉神社は稲葉家の旧臣が、臼杵藩祖稲葉良通公(一鉄)と歴代藩主の霊を祭祀するために建てられた。明治12年(1879)11月5日勧請式を行い、稲葉神社を公称した。(境内由緒書きより)
赤八幡社
津久見市津久見浦字石田と称する所に古来一厳石あり。建久年(1190~1199)に当りこの石頭に一点の火光ありて、すこぶる燦然たるを認め、人々神明の霊灯ならんと言う。 建久元年(1190)是より北方に当る所を選び石清水八幡宮の分霊を勧請して現今の地に社殿を設け当地の氏神として祀った。天正14年(1586)大友軍の兵火により焼失。慶長6年(1601)に再建、同10年(1605)佐伯藩主毛利高政公により社殿を築造、赤・青両郷の総鎮守社となる。 現社殿は安政3年(1856)の造営であり、明治6年(1873)郷社、昭和16年(1941)県社となる。楼門は大正5年(1916)に建てられたもの。(境内由緒書きより)
青筵神社
豊後表とは畳表に使われる七島藺で織った筵のこと。昭和11年には杵築市の城山公園内に、七島蘭の普及に功のあった人々を祀る「青筵(せいえん)神社」が建立された。当時の農家の七島蘭に対する恩恵と期待がいかに大きかったかがうかがわれる。(大分県HPより)
というわけで、晩冬の大分行・後半戦でございます。
佐賀関護国神社へ詣でた後、ネットでは情報皆無の「佐賀関海軍墓地」を探索することに。墓地の存在は国会図書館の資料やネット写真があるだけ…まぁ自分の探し方が悪いだけかも知れませんが orz
前日の準備で、とりまネットにある写真を分析…周囲の建築物や山、そして地形を鑑みながらグーグルマップを2時間程眺めます。山に囲まれた工場…山頂の四角い建物…赤土の見える山…ここか!?
現地で確認作業。
入り口を探して周囲を見回します。
…登れそうな道はありますが、マジ藪。
しかも法面に沿っての道なので、上へ行くと右側はちょっとした断崖です。注意しながら藪を漕いで前へ前へ。
藪は10分もかかならい程度の距離だったのですが、石塀に囲まれた海軍墓地を確認。
あった…マジであった…!!
浅間や日進で亡くなった方の墓標のようです(浅間3名、日進2名、病死2名)。献灯の石灯籠にも同様の文字が彫ってありました。
人の気配が絶えて久しい感じはしますが、多少周囲を綺麗にして各お墓への御焼香と慰霊の祈りをさせていただきました。どうぞ安らかにお眠りください。
思ったより順調に墓地探索が終わりました(現在13時前後)ので、時間が余った時のために考えていた場所へ向かいます。海辺の気持ち良い道を南下して臼杵市へゴー!
そうかぁ…城かぁ…
ということで、臼杵城跡が整備される臼杵公園へ突入です。結構でかい。
通りに臼杵出身の軍人さんの経歴等の看板なんかが展示してあってかなり良い感じ。
こちらもできるだけ真摯に慰霊の念を送らせていただきました。
同じ公園内には「国崩し」のモデルとなったフランキ砲(レプリカ)や伝説の「ペンキ塗りたてベンチ」なんかもあります…これがそうか!!
とても楽しく参拝できました。
そこからまた南下しまして、今度は津久見市にあります「津久見招魂社」へ。こちらは赤八幡社の境内にあるとの事。
ここもかなり立派な門と本殿があり、周囲にはいくつも末社が備えてあります。目的の「津久見招魂社」は本殿の右奥にある感じ。
少し陰った陽の下、手を合わせて慰霊の念を送りました。
さてここまでがとりあえずの予定。そして現在15時ちょい過ぎ…今帰っても17時には家に着いてしまいますんで、前に行きそびれていた「青筵神社」へ向かうことにします!
そして到着(1時間程)。
参道前にバイクを置いて階段を登ると、こちらにもお城(杵築城)の姿が見えます。
そっちは相変わらずスルーして青筵神社へ。
何故「青筵神社」へ参拝したかと言うと、看板にある通り杵築市内の英霊を合祀している神社だったからなのです。どうも国を守っていただきありがとうございます。どうか安らかにと手を合わせました。
後半はだいぶ急ぎ足になってしまいましたが、大分を巡る英霊慰霊ショートツーリングはこれにて終了です。寒さを見越して体中にホッカイロを貼り付け、大分山中を抜けて無事に帰還しました。
もう少し暖かくなったら動きやすいんですけどねぇ(^^;