神奈川県護国神社
これまで「日本全国で唯一、護国神社がない県」という汚名に甘んじてきた神奈川県。
創建の途上「横浜大空襲(昭和20年5月29日)」によって焼失、再建が放棄された戦後75年間、戦没者を「犠牲者」として「慰霊」することはあっても、日本の平和と独立を守って下さったことに「感謝」そして「顕彰」することはありませんでした。
このままでは、尊い生命を奉げられた方々に申し訳が立ちません。彼らの愛と自己犠牲に報いるためには、彼らを「英霊」として祀り、感謝と顕彰の誠を奉げる護国神社がなくてはならないのです。
そんな思いで平成24年から開始された神奈川縣護國神社の創建運動。地道な活動、そして皆様のご支援をいただき、およそ8年半の歳月を経て、ついに神奈川縣護國神社が完成しました。
みんなで力を合わせて作り上げた護国神社……小さいですが、英霊に対する感謝と顕彰の誠は、どこの誰にも負けません。
祖国の平和と独立を未来に託し、何より愛する人を守るため、尊い命を奉げられた先人たち。 その想いを次世代に受け継ぐことが、今を生きる私たちの使命なのです。(公式HPより)
上原重雄
昭和20年2月16日、相模湾沖に進行した航空母艦から発信したグラマン戦闘機延べ600機が初めて関東地区を襲った。硫黄島上陸作戦を目前にした米軍の本土の目標に対する超低空からの集団攻撃をしてきた。2日目を迎えた当地は朝から空襲警報下にあった。
午前10時頃攻撃を終えて南下してきた暗緑色の大編隊の群に単機捨身で突入した日本軍機があった。
衆寡敵せず不運にも本市小竹上空で被弾してしまった。機は相模湾上で反転し飛行場への帰還に向かったが、後続し南下する敵編隊の挟み撃ちにあい当地上空で炎につつまれ天蓋から身を乗り出して北方の基地、皇居に両手を上げて決別しそのまま機とともに自爆し壮烈な戦死を遂げられた。その姿は当地の人々に現在も鮮烈に残っている。
戦死した搭乗者は首都防衛飛行第22戦隊長上原重雄中佐であった。
歴戦の中佐は陸士第52期の卒業でスマトラ島のパレンバン航空隊を拠点として遠くニューギニア戦線までも遠征し縦横無尽に活躍をし、特にB17爆撃機の迎撃には偉勲の戦士と言われている。
前年に祖国に帰り兵庫県加古川航空隊で教育にあたっていたが、20年1月愛甲郡愛川町中津にあった第22航空戦隊長として着任した直後であった。当日は部隊が朝鮮平壌に移駐が決まり軍は迎撃中止を命じていたが我が物顔の敵機の振る舞いに祖国の末路を案じてか、はやる部下隊員を掩体壕になだめおいて、自らは義憤の単機発進をされたものと思われる。
当地においては故人を偲び、当地区の戦死者として遺影を福泉寺に掲額し遺族会としても懇ろに供養している。墓地の記念碑は搭乗機「疾風」のプロペラ4枚のなかの1枚である。(説明板より)
五月雨 (駆逐艦)
五月雨(さみだれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦の6番艦である。艦名は海上自衛隊のむらさめ型護衛艦6番艦「さみだれ」に継承された。
終戦後、五月雨の元乗組員による「五月雨会」が結成され、神奈川県 小田原市早川の東善院に慰霊碑が建立されている。(wikipediaより)
旅行二日目の天候は…晴れ!(アツイ)
朝6時起きで6時半出発といういつも通りの急ぎ旅ですが、今回は神奈川を通っての移動ですんで超混雑が予想されます。
流石に7時前だとそこまで混雑していない道を通り抜け、最初に向かいますは「神奈川県護国神社」でございます。以前神奈川を訪れた時に参拝した「横浜市戦没者慰霊塔」ですが、その時も「こんなモダンな建築物がなー」みたいな感想を抱いておりました。それと同じ感想を持った方々がいらっしゃったらしく、『神奈川にも護国神社を!』との想いで作られたのが「神奈川県護国神社」との事です。
Googleマップで見た感じ、階段の上の方にあるっぽいので下にバイクを置いて徒歩で上がります。なんかまだ朝早いのに暑さで汗が超吹き出す・・・あ、ここかな?
ありました。丘の上に小さくありますが、これぞ神奈川の護国の社・神奈川県護国神社です。日陰で少し休憩し、汗を拭き改めて参拝させていただきました。
すぐ下にあるローソ〇ンで美味しそうなジュースを見かけたので水分補給。他意はありませんので念のため(=゚ω゚)
そして混雑してきた道をかき分けまして、次は「王子神社」へ向かいます。
到着したのは良いのですが、なんか普通の神社・・・?
ワイも何でここに来るようメモってたのかを思い出せず、本殿にご挨拶した後に境内をうろつきますが何もない。タブレットを使い「王子神社」で検索をかけますが何も出ません。これは間違ってメモったのか?
時間も押しておりますんで次の場所へ向かおうとバイクに乗った瞬間、何か進行方向と反対側から呼ばれたような気がするワイ。「そこだけ確認したら次へ行こう」とバイクを走らせますと…
そうだ、ここにお伺いする予定だったんだ!
こちらはグラマン600機に必死の抵抗をされた「上原重雄中佐」の墓碑でございます。大慌てでバイクを降り、ご焼香して失礼のお詫びと慰霊の念を送ります。呼んでいただきまして本当にありがとうございました。
本格的に暑さが増してきた時間、そろそろどっかで昼を食わんとなーとか考えながら海辺の道をひた走ります。昨日と同じで風はスゲェ気持ち良いんですけど日差しが強い…
とか何とか言ってましたら、割とでっけぇ観音様像の元にたどり着きます。こちらが「駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑」があります「薬王山東善院」の「魚籃大観音」です。
裏の墓地へ続く階段を登って行きますと…
遥か海を観音様と一緒に見守るよう慰霊碑が立っております。
ご焼香して手を合わせ、慰霊の念をお送りしました。どうか安らかにお眠りください。
次の場所へ向かう前に、お昼ご飯と甘味と水分を摂取。甘い富士山ソフトと苦いノンアルコールビールが超身体に沁みる…(軽い脱水症状)