横浜市戦没者慰霊塔(神奈川県護国神社跡)
神奈川縣護國神社は、1942年(昭和17年)7月27日、横浜市神奈川区三ツ沢西町・南町(現在の三ツ沢公園)に創立許可を得て社殿造営が開始されたが、完成間近の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲により焼失した。第二次世界大戦後も再建されず、神奈川縣護國神社跡地には、1953年(昭和28年)3月に横浜市戦没者慰霊塔が建てられた。なお、同年11月5日竣工した神奈川県戦没者慰霊堂(横浜市港南区最戸)には戦没者及び戦災死者5万8千余名の名簿が納められ、毎年5月10日に神奈川県主催の神奈川県戦没者追悼式が行われるほか、多宗教による合同祭祀が行われている。(wikipediaより)
富岡生霊神社
昭和二十五年九月、殉國一筋崇高なる信念をもって荒塵万丈の大陸に、灼熱の孤島に祖国安泰を念じつつ散った百八十一柱の英霊が、生霊の御柱として永遠に鎮まり給う本社殿は、当時富岡村民八七七戸の寄付金二六〇、三九四円の財源をもって建設されたものである。(後略)
昭和五十三年十二月吉日 建立(建立碑より)
稲毛神社参拝を終え、次は神奈川県護国神社に…と思ったのですが事前情報では神奈川県に護国神社は無いとの事。代わりという訳ではありませんが、跡地に建てられたモニュメントがあるということで急遽そちらに向かうことに。
三ツ沢公園という園内にあるという事で駐車場に行くワシ。駐車場のおっさんに「バイクは奥にある駐輪場に」と言われてそっちに向かいます。…まぁ連休ということで色々な陸上競技大会があってるぽ。
えー、停めろと言われた場所は左の陸上競技場の下(いいのか)でしたので、とりまバイクを駐めて地図を確認します。戦没者慰霊塔あるの右上なんですが・・・
歩くのは特に気にならない質なので、時間もあるのでサクッと向かいます。
途中の馬場で「馬の尻尾って長ェなぁ」とか考えながら10分ほど散歩。
子供連れの家族さんが沢山いる広場にそれはありました。
なんか思った以上にモダンな建築物。これが護国神社の代わりかぁ・・・
奥には安置堂がありますが、こっちもちょっとオシャレっぽいッス。
近くにあった平和記念塔にもご挨拶。兎も角手を合わせ、慰霊の念を送りました。
そんなこんなで神奈川を抜けて静岡県へ。途中から富士山が見えますがやっぱテンション上がりますな(^^
バイクの運転も軽やかに富岡生霊神社へ到着です!
神社の真下がファミマでしたので、パンやコーヒーを購入して境内のはじっこで頂きます。ゴミは欠片も残さぬ所存。
自分の燃料補給が終わりましたら本殿や慰霊碑に参拝です。
霊峰富士のよく見える高台にある神社。
日本を守ってくださって本当にありがとうございます。どうか安らかにお眠りくださいと祈りました。
この日の後半、今までの旅行の中で一番の問題が!