艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その180 美保関事件慰霊碑(台場公園 鳥取県境港市) / 五日市護国神社(五日市八幡神社内 広島県広島市)———— 2019年 10月22日

美保関事件

美保関事件(みほのせきじけん)とは、1927年昭和2年)8月24日大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦艇多重衝突事故である美保関沖事件美保ヶ関事件ともいう。

本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約(大正10年11月締結)の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された連合艦隊司令長官加藤寛治大将は東郷平八郎元帥から激励された「訓練に制限無し」を掛け声として1926年大正15年)11月以来、猛訓練と個艦優秀主義によって戦力の劣勢を補おうとした

翌1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖での徹夜の夜間無灯火演習中に川内型軽巡洋艦2番艦「神通」(第五戦隊3番艦。神通艦長水城圭次大佐)と駆逐艦」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。蕨駆逐艦長五十嵐恵少佐)が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失して大破、「蕨」は沈没した。 このとき「神通」を避けようとした後続の川内型3番艦「那珂」(第五戦隊4番艦。那珂艦長三戸基介大佐)も駆逐艦」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。葦駆逐艦長須賀彦次郎少佐)に衝突、両艦も大破した。一連の経緯により、事故発生時の神通艦長水城圭次大佐は自決した

これを美保関事件と称する。(wikipediaより)

五日市八幡神社

氏神は、古代社会で氏を名乗る氏族が祭った祖先神または守護神のことです。奈良の春日大社は国家守護の神として、奈良時代(七六八年)に藤原氏氏神天児屋命を祭って創建され、現在でも全国から多くの参詣者が訪れることで知られています。
 ところが中世の武士団が自分の勢力を張ってゆこうとして、源氏のように鎌倉に幕府を開き、八幡神を祭り氏神として尊崇するようになると、こうした血縁上の関係ではなく地縁関係へと展開していきました。

 やがて時代がくだり、ある一定の区域内に住む人を氏神に対して氏子というようになりました。八幡神は、以後御家人と言われる武士らが自分の本拠地に分霊を祭り、全国各地に八幡神社が祭られる基となりました。

 五日市・中央・駅前・新宮苑・皆賀・美鈴園・海老山海老山南・五日市港海老園藤垂園・吉見園・旭園・楽々園・隅の浜・美の里にお住いの氏子の皆さまは、五日市八幡神社の神に守られているのです。

末社 護国神社

 広島市の招魂社の本殿だったものを昭和十二年の日華事変後譲り受け、海老山上に遷座して五日市の護国神社と致しました。昭和二十八年、原爆学徒犠牲者を合祀致しました。平成二十七年、五日市八幡神社末社として御遷座申し上げました。

五日市八幡神社HPより)

 

 

とうとう鳥取最北、境港市に突入です。

本気で真っっ直ぐな道をひた走り、今回鳥取での最終目的地であります「美保関事件慰霊碑」へ向かいます。美保関事件に関しましては結構きっつい事件ですので上記のWikipedia先生を参照してください。

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とりあえずそれっぽい場所に到着したのですが、大きな公園の左側に小さな公園、そして「殉忠碑」がありましたのでそっちを先に参拝します。サッカーしてる少年、ワシは怪しいものでない(超怪しい)。

 

 

そして右手にあります大きい公園へ。

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グラウンドの奥に大きめの建築物。

ここが「美保関事件慰霊碑」です。

 

 

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慰霊碑の中には機雷と四十口径安式八糎7型砲身があります。

本当はご焼香もしたかったのですが、焼香台は鉄柵の奥にありましたので出来ませんでした…。多くの犠牲者が出た痛ましい事件です、できるだけの思いを込めて手を合わせます。どうか安らかにお眠りください。

 

 

そして鳥取を後にしまして、おなじみの広島へ戻ってまいりました。

今回帰り道に寄りますは以前見失っておりました「五日市護国神社」です。

事前の調査で「五日市八幡神社」に移されていることが判ってますのでそちらに伺います。

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本殿にご挨拶した後は、入り口近くにありました「五日市護国神社」へ。

 

 

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やっと見つけた…万感の思いを込めて手を合わせます。どうか安らかに。

 

 

こんな感じで未踏の地・岡山鳥取を巡る旅行も全巻の終了でございます。

11月は地獄の休みなしが続きますので、暇を見てまた戦跡巡りになるかも知れません…。秋刀魚と鰯も獲らなければ。