2016-01-01から1年間の記事一覧
場所的に行かねばなるまい(決意)と言うことで、舞鶴鎮守府付近を時間の許す限り探索してまいりました! 探索したのは良いのですが人多すぎ…とりあえず入れる場所は色々回ったんですけど、軍の資料館とかは建物から人が溢れているレベルだったので今回は断…
由良 (軽巡洋艦) 由良(ゆら)は、日本海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦)。二等巡洋艦長良型の4番艦である。その艦名は、若狭湾に注ぐ由良川に因んで名付けられた。姉妹艦は長良、五十鈴、名取、鬼怒、阿武隈であった。ただし細かい相違点はあるものの、大まかな…
バイク時期到来ッ!(まだ早い) 連休で明日も休みですし、今日は久しぶりに少し遠出で山口県周南市大津島にあります「回天記念館」へ足を伸ばしてみました。「回天」とは大戦末期に作られた自決前提の魚雷兵器の事です。 回天 - Wikipedia 日差しは良いので…
えー、その、イベント終わりましたので、落ち着いて更新させて頂きます。 掘りはまだ E-3ラストで結構なハマりっ振りだったのですが、バケツと資源の連続投下でなんとかクリアに相成りました。あと朝霜・朝雲で艦娘もコンプですし今回で頑張って掘りたい所存…
沖島 (敷設艦) 沖島(おきのしま)とは、日本海軍の敷設艦。日本海軍初の大型敷設艦。 ロンドン条約によって「阿蘇」、「常磐」の代艦として敷設艦の建造が認められ、2隻予算請求されたが1隻のみ成立、建造された。日本海軍初の大型敷設艦であり、6号機雷を6…
今回の更新は冬イベント突入の為、むっちゃ遅れております。E1甲のボスが硬すぎてどうにもならぬ・・・。夕張さんのクリティカルだけが頼りになりそう。 閑話休題、今回は砲台跡や日本海戦慰霊碑がある宗像の大島に行った時のお話です。 バイクでフェリー…
そろそろ秋も深まってきた10月半ば、陸奥の遺鉄を使った慰霊の鉄兜があると言う事で、長崎にある福済寺に行ってきました。 ・・・まぁ、それ以前に到着して開いた口が塞がらないレベルの驚愕が。 でか!カメも観音様もでかッ!! 想像以上に派手ッス。以前長…
伊号第百八十一潜水艦 伊号第百八十一潜水艦(いごうだいひゃくはちじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大VII型)の6番艦。(wikipediaより) 宗像大社 宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社…
金剛 (戦艦) 金剛(こんごう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、太平洋戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製日…
龍田 (軽巡洋艦) 龍田(たつた)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。天龍型の2番艦である。その艦名は、奈良県の竜田川から名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては2隻目にあたる。(wikipediaより) 龍田大社 龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生…
橿原神宮から歩いて5分、同じ敷地内の奥の方にある慰霊公園です。瑞鶴や若月・初月・秋月の慰霊碑やその他慰霊碑、記念碑が祀ってあります。自分が行った時は自分しかいませんでしたので、ゆっくり手を合わせて参拝する事ができました。 今回も慰霊碑なんで…
阿武隈 (軽巡洋艦) 阿武隈は、大正時代に多数建造された5500トン型軽巡洋艦の長良型の一隻である。 1921年12月、浦賀船渠にて起工。1925年(大正14年)5月に就役した。他の姉妹艦に比べ、起工から就役までの期間が長いのには関東大震災が関係している。1923…
大和 (戦艦) 大和(やまと/ヤマト)は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦。大和型戦艦の一番艦。正式な呼称は“軍艦 大和”。大和の艦名は奈良県の旧国名の大和国に由来するが、日本の歴史的原点としての代名詞ともなっている『大和』の名を冠されたこ…
伊勢 (戦艦) 伊勢(いせ)は、大日本帝国海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦である。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。太…
那智 (重巡洋艦) 那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。艦内神社も熊野那智大社から分祀された。 (wikipediaより) 熊野那智大社 熊野那智大社(くまのなち…
熊野 (重巡洋艦) 熊野(くまの)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。最上型の4番艦。15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。一方、日本海軍の書類上の分類は戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった。 …
明石 (工作艦) 明石(あかし)は、日本海軍唯一の新造工作艦。艦名は兵庫県明石市の名所、明石の浦にちなみ、明治中期の巡洋艦明石に続いて2代目。アメリカ海軍の工作艦『メデューサ (USS Medusa AR-1) en』並みの修理能力を持つ特務艦として建造された。 (…
加古 (重巡洋艦) 加古(かこ)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦古鷹型の2番艦。時には加古型(加古級)と表記されることもあった。世界に先駆けて20cm砲を採用した巡洋艦である。第一次ソロモン海戦で活躍した後、その帰路に米潜水艦の雷撃により沈…
天龍 (軽巡洋艦) 天龍(てんりゅう/てんりう)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である。艦名は遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた。帝国海軍の軍艦としては初代天龍(木造巡洋艦)に続き2隻目となる。 戦後、海上自衛隊の訓…
先ず言わねばなるまい。潜水艦を頭上に展示しようって言い出した奴誰だ。 うん、良くやった‼ この冗談みたいな展示物が今回2発目の史料館「てつのくじら館」です。 此方も大和ミュージアムに負けない混雑でしたが、インパクト的にはこっちの勝ちかも。写真…
シルバーウィークの天気予報は晴れ! と言う事でバイク3泊旅行(9/20~9/23)で御座います。予定走行距離は1,700kmちょい。 相変わらずの強行軍なのですが1日目は広島ー愛媛ー兵庫を走破する感じでひとつ。 朝の7時に福岡を出発しまして、まず第1の目標…
球磨 (軽巡洋艦) 球磨(くま)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型軽巡洋艦の1番艦である。その艦名は、熊本県を流れる球磨川にちなんで命名された。 水雷戦隊の旗艦を担う為に球磨は14隻の5500トン型軽巡洋艦(球磨型5隻、長良型6隻、川内型3隻)の最初の…
8月31日の後半戦です。 むつ市の北洋館で1時間ちょい過ごし、次に向かうは八戸の青森県立三沢航空科学館…の予定だったんですが まぁ仕方なし!(確認しろよ俺) 仕方ないので昼食を取りつつ、次の目標だった「八甲田山雪中行軍遭難資料館」へ向かいまし…
怒涛の30日、2つの神社参拝を終えて弘前のホテルin。ちなみに到着したのは夜9時。そしてメシはコンビニ飯。近所のローソンが有り難かったッス。 …次の日の出発が朝の6時。この日もこの日とて強行軍で本州北端のむつ市を目指します。大体3時間くらいで着…
能代 (軽巡洋艦) 能代(のしろ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。阿賀野型の2番艦。艦名は秋田県の米代川の下流域の別称、能代川にちなんで命名された。(wikipediaより) 日吉神社 日吉神社は天文2年(1533)、能代の地に鎮座されたお社です。大山咋大神・大国…
陸奥 (戦艦) 陸奥は長門型戦艦の2番艦。八八艦隊計画二番手である。1番艦「長門」と共に、日本の力の象徴として日本国民に長く愛された。 また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれた。 長門型戦艦2隻(陸奥…
日向 (戦艦) 日向(ひゅうが、命名時のかな艦名表記はひうか)は、大日本帝国海軍の戦艦で伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。艦名の由来は宮崎県の…
大淀 (軽巡洋艦) 大淀(おおよど/おほよど)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)。艦名は宮崎県下の最大河川である大淀川に由来する。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦でもある。昭和十四年度に着手された第四次軍備充実計画(通称マル4計画…
知覧を出て鹿児島湾を半周…。高速の途中でガス切れそうになったり、ナビが止まったりと多少のアクシデントはありましたが、次は鹿屋海上自衛隊基地・鹿屋航空基地資料館で御座います・・・めっさ暑かった。 気分転換を兼ねて、暑いけど屋外展示へ…すげぇ‼写…
艦これを始めて、付随した趣味の一つに戦跡・慰霊碑参拝があります。 鹿児島へ行くのにこの施設を外す訳にはいかない…そんな感じで「知覧特攻平和会館」へ足を運びました。前日に間に合わなかったので朝8時に現地到着。そして開館時間は9時…。 近くの建物…