艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その501 旧戦艦伊勢日向 浮揚解撤記念碑 & コンクリート船(坪井漁港) & 音戸町戦没者慰霊碑(広島県呉市)———— 2025年 7月20日

伊勢(戦艦)

伊勢(いせ)は、日本海軍戦艦で、伊勢型戦艦1番艦である。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。

(中略)

終戦後、伊勢は引き揚げられて一時期住宅として利用された後、解体されスクラップとなった。解体は1946年10月1日から11月28日にかけて、上部構造物の撤去が行われ、艦体は1950年から1951年にかけて引き揚げ・解体された。(wikipediaより)

日向(戦艦)

日向ひゅうが命名時のかな艦名表記はひうか)は、大日本帝国海軍戦艦伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。

(中略)

戦後の1947年(昭和22年)7月、日向の解体が完了して艦歴を閉じた。なお、情島で着底した日向の様子を戦後にアメリカ軍が撮影したカラー映像が残っており、今日でもその被害の凄まじさを観察することができる。日向に装備されていた航海灯軍艦旗広島県呉市大和ミュージアムに所蔵されている。(wikipediaより)

コンクリート

コンクリート英語:Concrete ship)とは、船体鉄筋コンクリートで建造された船舶。一般的な鋼鉄木材製船体に比べ、建造に関し建設費用が掛かり、コンクリートフェロセメント英語版)の性質上、建造に手間が掛かる点や、重量(質量)も増えることから操船性能や燃費が悪く、運用コスト面で不利となるなど多くの欠点を抱えるが、材料が安価で容易に調達できることから積荷を載せて曳航するバージとして19世紀からヨーロッパで使用されていた。

(中略)

戦後、呉海軍工廠にて係留されていた2隻のコンクリート製被曳航油槽船の内の一隻。1953年に払い下げられ防波堤として沈設された。(wikipediaより)

 

 

陽射しの増した呉市内を抜けて江田島へ。見覚えのある道を抜けて海風を受けつつ走ります。嗚呼ツーリングの醍醐味也(●´ω`●)

 

そんな感じで次の目標「坪井漁港」に到着です。

先ずは左手にあります自治会館の敷地内へ・・・あった!

   

こちらが「旧戦艦伊勢日向 浮揚解撤記念碑」です。

呉湾で最後まで戦った戦艦達を引き揚げた記念碑…手を合わせて慰霊と感謝の念を送ります。お隣の観音様にもお礼の念を送らせていただきました。

 

 

そしてここからすぐ右前にあります小さな漁港。こちらに次の目標が。

 

こちらが坪井漁港にて戦後防波堤として使われております「コンクリート(名称不明)」です!スゴイ!船ってキチンと判る!!

以前笠戸島で拝見したのは原型保ってなかったもんなぁ…(=゚ω゚)

 

ちょい前までは上にも上れたようですが、現在は柵がありましたので近くから写真をいただきます。

 

 

取り壊される前にお伺いできて良かったっス。

 

 

そして更に奥地へ向かう途中、道中で「音戸町戦没者慰霊碑こちら」という看板を発見。反射的にバイクをそちらに向けて山を登ります。相変わらずですね。

5分ほど山道を辿りますと…

 

    

かなり立派な慰霊碑なのですが、こちらが音戸町出身の戦歿者821柱を祀りました「音戸町戦没者慰霊碑」です。由来を読むに地元の名士が私財を投じて設立したという…素晴らしい理念に胸を打たれつつ、ご焼香と慰霊の念を送らせていただきました。

 

 

この後は近所のコンビニでエネルギーと水分を補給して江田島奥地へ向かいます。

このコンビニ、前に来た時も握り飯食った記憶(=゚ω゚)