錦小路頼徳
錦小路 頼徳(にしきこうじ よりのり)は、江戸時代後期の公家。文章博士・唐橋在久の長男。錦小路頼易の養子。官位は従四位上・右馬頭、贈正四位。字は一貫。(wikipediaより)
広沢真臣
広沢 真臣(ひろさわ さねおみ、旧字体: 廣澤 眞臣、天保4年12月29日(1834年2月7日) - 明治4年1月9日(1871年2月27日))は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治の武士(長州藩士)、政治家。維新の十傑の1人。賞典禄は1,800石。(wikipediaより)
梅雨と言いつつ良いお天気(季語)、皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分は今日も天気良しと言うことで、山口県に残っている小さな護国社を訪ねて参りました。そろそろ近所さんではネタが切れつつある
とりまいつものめかりPAで写真をパチリ。タイヤにスリップサインが出つつあるので注意しながら山口へ向かいます。
そして到着。
先ずは埴生ICのすぐ近くにあります「埴生護国神社」へ。坂の上にある所為か、供花台を見るに参拝は少ない模様…隣にあります殉国忠霊碑にも手を合わせて慰霊の念を送ります。
そしてそのすぐ左手には…これは……
鳥居も崩れ、藪に埋もれた社が。正一位のお稲荷様がこんなに(涙
人に忘れられるというのがこんなに無残とは。かなりショックではありましたがご挨拶だけして後にしました。近かったら掃除に来るんだけどなぁ…
そんな感じで次の場所へ。次の場所は結構な住宅地の中…あ、あった。
ここが「赤妻招魂社」…もとい赤妻神社です。
招魂社と言う名前があったので来てみたのですが、此方は幕末の志士「錦小路頼徳」を祀った神社との事。境内には同じく志士「広沢真臣」の墓碑もありましたので、地域の英霊の社ではありませんでしたが手を合わせて慰霊の念を送りました。
いつも通りセブンのカレーパンとおにぎりでもぐもぐタイム。
ここから気持ちの良い山道を抜けて日本海側へ…
本日の最終目的地「飯山八幡宮」へ到着。入口前にバイクを置いて先ずは本殿にご挨拶します。目的地は…左か!
由緒書きはありませんが鳥居や社の形を見るに間違いない、ここが深川護国神社です。お隣にあります大きな忠魂碑にも手を合わせて英霊よ安らかなれと祈りました。
その正面には謎の金属部品が。ググったら山口を走ってた機関車の部品らしいっス。横幅3m以上あって結構な大きさ…なんか珍しいモン見た(=゚ω゚)。
この後はそのまま久しぶりに角島まで走ってわかめソフトを食いつつ下道でゆっくり帰ります。今の時期が暑すぎず寒すぎず良いなぁ(*''▽'')