艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その384 東市来護国神社(鹿児島県日置市) / 串木野神社(鹿児島県いちき串木野市) / 永利護国神社 & 高城護国神社(鹿児島県薩摩川内市)———— 2023年 7月17日

東市来護国神社

明治三年六月戊辰の役戦亡人碑の建立に始まり、同十年西南の役戦没者を合祀し、招魂社と称した。同十九年官祭東市来招魂社となり、昭和十四年四月一日日清・日露・済南・上海・日支の戦没者を合祀し、東市来護国神社と改称した。更に、同二十八年十一月二十七日大東亜戦の戦没者を合祀し、現在に至る。

御祭神は、戊辰の役戦没の上村珍樹命をはじめ各戦役の戦没者一〇三三柱と、東市来町名誉町民など九柱である。(鹿児島県神社庁HPより)

串木野神社

明治天皇の思召しにより、招魂社として串木野村下名二六七六番地に明治七年甲戌七月創建され、同三十五年以来、官祭串木野招魂社と称して国費を以て管理された。

昭和十年、昭和天皇は鹿児島、宮崎両県での陸軍特別大演習御統監後、十一月十六日当地方を行幸され祭粢料を御下賜になったので、臨時大祭を斎行した。

昭和十四年四月一日内務省令を以て、串木野護国神社と改称され、同五月八日、町議会の議決により篤志者の浄財を募り、同十八年九月御造営に着手した。昭和二十一年十一月十七日に現在地に遷座し、串木野神社と改称した。

明治維新以来の国事に殉じた串木野出身の軍人・軍属の神霊、並びに文化祭神として故衆議院議長長谷場純孝・故貴族院議員奥田栄之進両大人命の神霊を奉斎している。(鹿児島県神社庁HPより)

高城護国神社

祭神松下彦二は戊辰の役の慶応四年八月二日に戦死した。招魂社を設立し祭典を執行する為、明治十九年十一月二十七日付を以て出願し、二十一年一月十七日官祭招魂社として認可され、昭和十四年十一月十六日高城護国神社として認可改称された。(鹿児島県神社庁HPより)

 

 

ジャケットに水をかけスプレーしながら鹿児島を北へ走ります。

先ほどの木陰でだいぶ体力を回復できたので、コンビニで水分をとりながら楽しいツーリング(*''▽'')

東市来護国神社」へ到着です。

 

 

木陰にバイクを停めて本殿に慰霊のご挨拶。周囲に慰霊碑もありましたので同じく手を合わせて慰霊の念を送ります。…奥になんぞある?

 

 

 

 

何故かフランシスコ・ザビエルと家老の像が。

そういう関連があったのですね・・・ザビエルさん見るの教科書ぶりですわ。

 

 

思わぬ出会いがありましたが、そのまま北上。

結構大き目の神社の裏にたどり着きます。

 

 

 

 

とりあえず先に裏の慰霊碑群にご挨拶。少し曇ってきた天気を有難く思いながら慰霊の手を合わせます。

そしてそのまま下にある本殿にゴー。

 

 

 

 

ガラス張りの立派な本殿。ここが「串木野神社」です。改名されたとは言え護国神社、慰霊の念と今後の日本の事をお祈りしました。

 

 

そこからまた陽に炙られながら次の場所へ。今度は学校の目の前・・・?

 

 

かなり小さな境内ですが招魂碑や報国烈士の碑があります「永利護国神社」へ到着です。学生が野球をやってる声が響いてきていい感じ。なんか和みながら手を合わせました。

 

 

海辺の道をゆっくりと走りながら最後の場所へ。

また陽が照ってきて暑い…熱い…アツい……炎天下にバイクを停めて探しますが見つかりません orz

 

坂道の猫さんに挨拶しながら3往復しましたが全然わからぬ(=゚ω゚)

一度正面にある駅前(日陰無し)にバイクを置いて探索箇所を拡大します。

 

 

 

これか!?

歩道の途中に神社の看板が。知らない神社名ですが、他に無いので突入します!

 

 

 

 

小学校と線路の間の細い道をゆるりと進みます。ここ通ってええのんか(=゚ω゚)

他に道も無いしなぁ…ムーブムーブムーブ!

 

 

  

 

あった、ありました!「高城護国神社」です!!炎天下を20分ほど歩き回りましたがあった…良かった…人が来てないのか荒れた境内も気にならず、割と息絶え絶えになりながらですが今旅最後の神社に手を合わせて慰霊の念を送りました。

 

 

この後、存分に熱くなったバイクのシートに尻を焼かれながら鹿児島を後にします。久しぶりの鹿児島でしたが、とても楽しい旅行になりました。

 

次は8月末にまた関東へ行く予定。