海軍記念館
海軍記念館(かいぐんきねんかん)は京都府舞鶴市にある海上自衛隊舞鶴総監部内にある展示施設。
海軍記念館は、自衛隊員の教育に資することを目的として1964年(昭和39年)5月27日に舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)の一部を利用して設置された。1901年(明治34年)に舞鶴の地に鎮守府が設置され、初代司令長官に赴任した東郷平八郎元帥に関する資料の他に、旧日本海軍の資料が約500点展示されている。
なお、土日祝日の9時から12時、13時から15時に一般公開されるが、団体は事前に申し込みが必要である。(wikipediaより)
長鯨 (潜水母艦)
長鯨(ちょうげい/ちゃうげい)は、大日本帝国海軍の潜水母艦。 迅鯨型潜水母艦の2番艦。 艦名は鯨の別称で、徳川幕府が使用した「長鯨丸」に続いて二代目。
軍艦(ぐんかん)長鯨(ちょうげい/ちゃうげい)は、日本海軍が三菱長崎造船所で建造した潜水母艦。 廃艦になった八八艦隊主力艦の機関部を流用し(長鯨は加賀型戦艦の土佐より)、1924年(大正13年)8月に水雷母艦として竣工、同年12月に潜水母艦へ類別変更された。 姉妹艦迅鯨と共に、日本海軍が最初に保有した本格的潜水母艦である。
(中略)
1945年(昭和20年)6月上旬、舞鶴へ回航される。7月30日、伊根湾で対空戦闘を実施、長鯨は艦橋に直撃弾をうけて損傷、まもなく終戦を迎えた。戦後、長鯨は復員輸送に従事した後、解体された。(wikipediaより)
福井県を出てどんどん南下。雪山周囲を出ると気温がスゲェ上がってる気がするのですが、とりま脱げるものは全部脱いで京都へ入ります。
なんかもう途中から完全に初夏の天候。日差しはスゲェ暑いのですが風が冷たいので体温調節機能がどうかなりそうな勢いです。そして五平餅を見つけて食うワイ。うん、米の味。
そんな感じで久しぶりの舞鶴に到着です!
とりま赤レンガパークの隅っこにバイクを置きまして、そのまま海軍記念館へ向かいます。暑い、マジで暑い…
15分程歩いて「海軍記念館」のある第4術科学校へ到着です。入口で書類を書いてパスを首にかけたら突撃っス!
こ、ここが海軍記念館・・・!!!
興奮と暑さで脳がバグりそうですが、周囲に迷惑をかけぬよう冷静を装って内部へと入りますフッハーーー!
どの展示も素晴らしく、なんかC2機関のキャラクターが幻覚で見えた気がしないでもないですがそれも含めてすばらしいフッハーーーーー!!
なんか時間を忘れて展示を拝見しました。
展示を拝見した後は、少し先にある「東郷邸(東郷平八郎の住居)」まで歩いて行ってみます。
ここは第1日曜日のみ見学できるということで今回は閉館中。スキマから少し拝見したら途中のコンビニでアイスを買って食べながら戻るワイ。
なんか戻る道すがらでさえエモいとは素晴らしい街ですぜぇ舞鶴。ただひたすらに堪能しつつ次の場所へ向かいます。
ここで一寸アクシデント。初日の雨から少し無理させてたバイクのチェーンとスプロケから変な音が…こりゃチェーンの一部が伸びちゃったかなーと気にかけながらゆっくり進みます。
ゆっくりついでに「丹後由良駅」にて由良さんのゆらゆら度チェック。こりゃ想像以上にゆらゆらどすなぁ…中にあるカフェ「アン・シャーリー」さんにてケーキセットをいただきました。うむ、甘い。
そしてスゲェ渋滞の天橋立前を横目に見つつ、今日の最終目標へ向かいます。
ここが伊根町・慈眼寺にあります潜水母艦長鯨の慰霊碑「英霊之碑」です。
伊根の舟屋や港を見晴らせる場所にあり、皆を静かに見守ってらっしゃいました。
線香を上げ、手を合わせて慰霊の念を送ります。どうか安らかにお眠りください。
慈眼寺に続く階段から降り、さぁバイクに乗ってホテルへ・・・と思ったところで「お前さんも先の岬に行きんさるんね?」と近所のお爺様に声をかけられます。
声をかけてくださったお爺様に慈眼寺に来た旨を伝えますと「あー、あの寺には潜水母艦長鯨言うてな…」と驚いてしまう話題が。実はその慰霊碑が目的であることをお話しますと、当時の話を聞かせてくださいました。
当時お爺様は小学校5年生くらい。潜水母艦が被害を受けた時に死体が沢山港に上がって大変だった。港の広場に重ねるようにして死体が置いてあり、気味が悪かったとの事です。他にも網に死体がかかってしまいその度に引っ張り上げたこと、村のみんなで死体の運搬を手伝ったこと等非常に貴重なお話を聞かせていただけまして本当にありがとうございました。
その後は映画の舞台になって女優さんが凄く綺麗だったとか、寅さんが来た時は人気にあやかって伊根中が人であふれたとか、最近刑事モノの撮影で有名な俳優さんが来たとか30分程立ち話をさせていただきましたw 非常に楽しい時間だったですぜ。
この日はそのまま舞鶴のホテルへ向かいました。
明日が最終日です。