鳥栖空襲
鳥栖空襲 (とすくうしゅう) は、1945年8月11日に、佐賀県鳥栖市を襲ったアメリカ軍による空襲。10時30分から11時20分にかけて、B25爆撃機による3波の攻撃がなされ、鳥栖市は甚大な被害を受けた。そして、被害状況は、罹災人口3,200人、死者119名(藤木町38名、山浦町2名、本鳥栖町4名、東町9名、曽根崎町24名、鳥栖機関区5名、鳥栖電力区7名、学徒動員生徒6名、軍関係者20名、永吉町4名)、民家の全壊36戸であるという。しかし、終戦後の混乱などにより、被害状況は詳細にはわかっていない。(wikipediaより)
頌魂碑
此の地は昭和二十年八月十一日米国機空襲の際所記の鳥栖電力区職員及び動員学徒諸氏が職務執行中その直撃弾を蒙り悲壮なる戦死を遂げたるの地なり
依ってその英魂を弔慰し冥福を祈るものなり(碑文より)
三浦虎次郎
三浦 虎次郎(みうら とらじろう、1875年(明治8年)12月23日 - 1894年(明治27年)9月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍三等水兵。『勇敢なる水兵』のモデル。
佐賀県佐賀郡東与賀村(現在の佐賀市)出身。父は三浦愛吉。1892年(明治25年)3月、五等水兵として佐世保海兵団に入団。「満珠」に乗組み訓練を受けた。翌年8月四等水兵に昇進し、佐世保水雷隊攻撃部に配属される。1894年(明治27年)1月、「松島」乗組みとなり、6月三等水兵に昇進。日清戦争を迎え、連合艦隊旗艦となった「松島」の下甲板前部弾庫員として、黄海海戦に参戦。「鎮遠」から発射された30.5センチ砲弾が「松島」に命中し、三浦は戦死した。
三浦は死の直前、通りかかった「松島」副長・向山慎吉少佐に次のように問いかけた。「まだ定遠は沈みませんか」。向山から「定遠」が戦闘不能に陥った旨を聞くと、三浦は息が絶えた。戦闘終了後、「松島」は佐世保へ帰還したが、向山は立ち寄った本屋でこの経緯を語った。本屋の主人は新聞社の嘱託通信員であり、この水兵の死が新聞で報道された。記事を読んだ歌人・佐佐木信綱は一夜にして詞を書き上げ、奥好義が作曲した軍歌・『勇敢なる水兵』が創作された。(wikipediaより)
梅雨の最中、豪雨の場所もあるようですが皆様如何お過ごしでしょうか。
こちらは今日は朝から多少晴れておりまして、天気予報は曇り時々晴れ、所によって雷雨(完全にフラグ)ということでしたので躊躇なくバイクで佐賀ー長崎周囲の遺構&慰霊碑を巡ってまいりました。
前回死ぬほど徘徊した鳥栖市は程よく曇り。時々顔を出す太陽が死ぬほど暑いですがまぁ塩梅です。とりあえず藤木公園にあります「頌魂碑(招魂碑)」を目指します…ってここ、以前来た「月光のピアノ」のあるサンメッセ鳥栖の超近所…
難なく到着。
公園というには本気で何もない緑地の一角、そこに頌魂碑はありましたのでバイクを横付けしてとりあえずご挨拶します。
碑文を読むに終戦後の8月11日の突然の空襲(!)で亡くなった人たちの慰霊碑のようです。周囲の草を抜き、多少綺麗にさせていただいてから焼香と慰霊の念を送りました。どうか安らかにお眠りください…
そしてそこから30分程走りまして、今度は同県内にあります「三浦虎次郎君之碑」へ向かいます。この方は軍歌「勇敢なる水兵」の歌の元になりました水兵さんなのです。軍歌とかあまり知らない自分でも「まだ沈まぬや定遠は」は聞いたことがあります。
そして到着。
想像してたよりでっかい…。
敷地の栄蔵寺さんには誰もいらっしゃらないようですので、とりあえず碑に手を合わせて慰霊の念を。焼香場もありませんので一通り拝見しましたら次の場所へ向かいます。
そして雷雨。
途中でいきなりスゲェ降り出しましたので、雨宿り&合羽装着にて先を急ぎます。どうせ降ったり止んだりだろうし。
鳥栖から嬉野の山中を通り、そのまま東彼杵に向かう道中。激しい雨と快晴が繰り返されるヘンテコな天気ですがツーリングとしては結構楽しかったり。ハーフウェットな道に滑らないよう気をつけながら長崎へ入ります。
そして道中にてあっさり発見。
この道割と通った覚えあるんですけど全然気がつかなんだ…こんな場所あったんですねぇ。ちょっと感動しながら小雨の中を頑張って撮影します。
最後の場所がここからまた1時間程なのですが、また雷雨が近づきつつあるようでしたので、近くにありますレストランへ退避します。ついでになんか食う。
13時半くらいなのですが自分以外に御客は無し。とりあえず「全乗せランチ(日替わり)」というのを頼んで堪能しながら雷雨が去るのを待ちます。メニュー見て思い出しましたけど、ここ以前に大村の防空砲台跡を探索した時にご馳走になったとこでしたわ…相変わらず美味しいっス。
雨も少し止んできたので最後の場所へ向かいます。
最終目的地は、ここも何度かお伺いしております「特攻殉国の碑」でございます。雨も止んでおりますので先ずは慰霊碑にご焼香して手を合わせます。
そして右側にあります今日の目的地へ。
ここが冒頭のニュースにもありました、特攻兵器「震洋」の原寸大模型を展示しております『水上特攻艇「震洋」展示館』です。
ボートとしては割と小型なのですが、これに爆薬を詰んで特攻していったかと思うと複雑な思いが沸き上がります。改めて慰霊の念を送りました。
こんな感じで時々雷雨なショートツーリングは終了です。帰りも降ったり止んだりの中を楽しんで帰りました。
帰りのGSで見かけた鳩。お前さんも雨宿りかい(=゚ω゚)