児玉源太郎
児玉源太郎(こだま げんたろう、嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) - 明治39年(1906年)7月23日)は、日本の武士(徳山藩士)、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した。(wikipediaより)
下松護国神社
下松護国神社は、1866年に馬関戦争、禁門の変における都濃宰判出身の戦死者四柱を奉斎し、設立当初は、「山添招魂社」と号されていました。その後、戊辰戦争等の戦死者九柱を合祀(維新十三人墓)し、日清日露の戦役を含め、太平洋戦争終結までの国難に殉じた、下松市出身の英霊1044柱を奉斎しています。昭和14年に、下松市制施行にともない、「下松護国神社」と改称されました。(おいでませ山口へより)
富田護国神社より15分程、次は「児玉神社」へ向かいます。
ここは日露戦争時に陸軍大将だった児玉源太郎氏を祀った神社という事です。
今まで山ン中ばかりだったのですが、ここから結構な街中に入って少し戸惑うワイ。本当にここでええのんか…。
や、ビルと駐車場に囲まれた割と町の中央にありました。
隣の公園には子供がわんさか溢れて遊んでおります。こういう神社もええなぁ…とりあえず本殿と顕彰碑に参拝します。
神社正面の公園には大きな慰霊碑が。スゲェ沢山の子供が遊んでおりますが、その辺は気にせずに手を合わせて慰霊の念を送りました。怪しくてゴメン
そこからまた30分程、本日最後の目的地であります「下松護国神社」へゴー!
そしてGoogleマップ通りに進みますが今度も行き止まり orz
おかしいなぁ、この通りの上にある筈なんだけどなぁ、とバイクを降りて探索します。今日はこんなんばっかり。
あーこういう事ね完全に理解した(諦観)
ほっそい山道を発見しまして、杖なんかも置いてありますんでここから登れという事ですな(=゚ω゚)
着きました。
借りた杖を頼りにしながら登る事5分。お墓を縫うように登る急坂の頂上に静かな神社があらわれます。ここでも息を整えた後に本殿へお参りします。
ここは鳥居の下に石段が続いておりますので、多分正面から登る道もありそうな感じ。まぁ杖も返さなきゃいけませんので元来た道を戻りましたが。
こんな感じで久しぶりの長距離ツーリングを堪能した一日でした。天気も良くて素晴らしい参拝だったのですが、割と体力的にきつかったのは秘密でございますw
7月は今のところ北関東長距離ツーリングの予定です。
コロナ収束しろ~マジで頼みますぜ~・・・