艦これ御朱印帳

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休艦日その88 立磐神社・日本海軍発祥の地碑(宮崎県日向市)———— 2018年 7月16日

立磐神社

美々津はご東遷の際、お船出の地として顕彰されている。
立磐神社はこの時航海の安全を祈念されて、この埠頭に海上守護神である底筒男命中筒男命表筒男命の三柱の大神を奉斎してのにちなんで、第十二代景行天皇の御代に創祀されたと伝える。永禄の頃(1558~1570)より地頭の崇敬があり、祭礼神事行事も整い殷盛となっていた。しかし、天正六年(1578)に至り大友氏との耳川の合戦の為戦火にかかり、宝物貴重なる文献記録等烏有に帰した。
棟札によれば元和六年(1623)、寛文八年(1668)、宝永二年(1705)、享保九年(1728)、享和九年(1903)に再興されている。高鍋藩秋月氏の崇敬も厚く、貞享三年の「高鍋藩寺社帳」によれば、神領七石五斗を有していたとあり、その後も神事ある毎に寄進を受けていた。さらに境内には神武天皇御腰掛岩があり、今もご聖蹟として崇拝している。往古より立磐権現あるいは立磐大明神と称してきたが、明治初年立磐神社と改称し、同四年郷社に列せられ、同四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。(宮崎神宮HPより)

日本海軍発祥の地」碑

日本海軍は、天皇が統帥された海軍でありました。このことから国が、神武天皇御親率の水軍が、はじめて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、 紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。 碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米内光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたものであります。 この碑は、大東亜戦争終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、 昭和44年にいたり地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、 現在のとおり復元されたものであります。(説明書看板より)

 

 

そういうわけで短い旅行も最終目的地、立磐神社&日本海軍発祥の地でございます。

都農神社で水分を補給して20分ほど、ちょっと無茶っぽい1泊2日の旅行(計22箇所)も最期の地と言うことで身が引き締まる思いです。

 

 

先ずは立磐神社。

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立磐神社は海沿いにある小さな社です。港も近く海風が心地よいですが、立派な境内が迎えてくれます。手を合わせて祈る所存。

 

 

慰霊碑や記念碑も多数あります。

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一通り拝見して手を合わせました。

 

 

そして神社のとなりにあります「日本海軍発祥の地」へ。

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超立派な石碑が立っております。

日本の海軍はここから始まったんですねぇ。今回の旅行の集大成として素晴らしい場所でございます。

 

近くには立て看板と大きな錨が。

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海軍好きとしては感慨深いですが、ぶっちゃけここまで古いものとは想像していませんでしたw

とても良い経験をさせていただいたと思います。

 

 

これにて1泊2日の鹿児島~宮崎の旅行も終了です。このまま大分まで走った後、佐伯から高速に乗って福岡まで帰還しました(約3時間)。

 

次回は熊本に行くか四国へ行くか…。