上田定
上田 定(かみた さだむ、1916年(大正5年)10月24日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍兵曹長。(wikipediaより)
噫大哉 悼哉
海軍兵曹長上田定君は千代田町 字蔵迫上田家の長男として此地に生れ長じて海軍軍人を志願し太平洋戦争勃発昭和十六年十二月八日真珠湾特別攻撃隊に挺身参加し遂に護國の華と散り九軍神の一人として讃嘆された
最終日の天気は…晴れ!!
とは言っても最終日も朝4時起きの5時出立。宿にお礼を言いつつ大通りまでバイクを押してエンジン始動・・・今日も暑くなりそう。
そんな感じで鳥取から南下しまして広島へ。結構な山道をゆっくりと楽しみながらツーリングします。たーのしー(*´▽`*)
あっという間に本日の第1目的地へ到着します。
ここが「海軍兵曹長 上田定之碑」です。真珠湾突入後に軍神として祀られた一人なのですが、他に比べて此方は民家の超となりにあります。
バイクを停めて手を合わせておりますと「どこから来んさったね」とお隣から声が・・・実は此方の隣にあります家は上田兵曹長の甥子さんの家との事で、「九州から来ました」と言うと奥の蔵の中(遺影や直筆の手紙、勲章やその他資料が沢山)を見せてくださり、色々なお話をしてくださいました。
上田兵曹長は実は野球が大好きですごく上手だったこと。生き残れたら沢山やりたい事があったろう等のお話を20分程伺いまして途中涙が出そうになりましたが、貴重な体験をさせていただきまして本当に有難うございました。
墓碑も近くにあるということなので是非お参りさせてくださいと言うと、場所を詳しく教えていただけましたのでお礼を言って其方に向かいます。
ご焼香と手を合わせて慰霊の念を送ります。どうか安らかにお眠りください。
そこから10分程走りまして「龍山八幡神社」へ。
ここの忠魂碑に上田兵曹長のお名前が大東亜戦争の筆頭にあるらしいので、そちらを拝見し手を合わせます。どうぞ安らかにと願いました。
少し暑くなってきた陽射しを受けつつ1時間。広島市内へ突入です!
狭い道をくねくね抜けて行きますと大きな神社が。ここが「岩瀧神社」です。
ここの少し下にあります忠魂碑には・・・そう、機雷!!(*´▽`*)
本殿にご挨拶した後、忠魂碑に手を合わせて心行くまで機雷の写真を撮りました。
この夏の旅行も次が最終地点です。