俱会一処
倶会一処(くえいっしょ)とは、浄土教の往生の利益の一つ。阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味である。(wikipediaより)
福田海
中山通幽(つうゆう)(1862‐1936)が1908年創始した宗教。本部は岡山市吉備津。通幽は修験道当山派の山伏として活躍する一方で,日清戦争前のナショナリズムの台頭の影響をうけ,井上円了の哲学館で学び,大阪に関西哲学館を開いた。神儒仏に老荘を加味した独特の宗教哲理を形成し,陰徳積善の功徳を盛んに説いた。その説に従う者を聖徳太子の四福田になぞらえて福田海員と名付け,1900年比叡山の不滅の法灯の分灯を得て教団の信仰の中心にすえ,08年大阪で福田海の開創を表明した。(コトバンクより)
鎮遠(戦艦)
鎮遠(ちんえん, Zhen Yuen)は、清国海軍がドイツのフルカン・シュテッティンに発注して建造した甲鉄砲塔艦「定遠級」の1隻。建造当時東洋一の堅艦と呼ばれた。日清戦争において日本海軍に鹵獲され、戦後に戦利艦として日本海軍に編入された。(wikipediaより)
雨の兵庫県をひた走り、途中で雨が止んできたので合羽を分離・・・瀬戸内海を左手に見ながらゆっくりと走行距離を稼ぎます。
ちなみに現在バイクのパワーレベルは5…新型は電子制御で色々いじれますので、慣らしが終わるまではパワー半減の状態で走行しております。
そんな感じで兵庫県はたつの市にあります「恩徳寺」さんへ到着。見た感じ普通のお寺さんなのですが・・・
ビルダーというよりはフィジーク系の阿吽像を拝見しながら境内へ。本堂に御参りしまして周囲を探索開始…
えーお寺の境内に神社発見。最近だと結構珍しい・・・二礼二拍一礼でいいのかな?
そしてその左側に目的のブツが。
ありました!機雷(浮標水雷缶)です。
判別しづらいですが解説板には日露戦争云々と彫られておりますので結構古いものかと。色褪せておりますが美麗なブツでございます。
そしてその右後方。
「倶會一處(くえいっしょ)」の碑とちっこい忠魂碑が。
前者に関しては囲いが砲弾型なので多分忠魂碑の寺院版かと思われます。これまた結構珍しいな・・・両方とも手を合わせて慰霊の念を送らせていただきました。
雨も降ったり止んだりを繰り返しておりますが、もう開き直って多少濡れながら岡山県に突入します。
そして到着。
ここが福田海(ふくでんかい)本部という寺院です。あんまり聞いたこと無い宗派ですが、内部は割と質素な感じで上の墓地へと続く道が。
ご挨拶した後は先に上へ登ってみます・・・結構きついぞこの坂。
一番上まで登りましたがずっと墓地…途中でっけぇ鶏の像なんかもありますが特に目的のブツは見当たらず「ここから10分上に遺跡あるで」という看板に「NO THANK YOU」とお断りしながら麓へ戻ります。
そして麓の向かって右側に…もしかしてあれかな。
右手奥にそれっぽい物体は見えるのですが立ち入り禁止の看板が。
どっか周って見られないかなと周囲を探索します。
受付の建物に声をかけましたが誰もいない…「鼻ぐり塚へ行きたい時は100円で護摩木を買ってください」とありますので、100円を賽銭箱に入れて護摩木を1本いただきまして、下からの道を進むワイ。ていうか鼻ぐりってなんだろ(=゚ω゚)
奥には古墳っぽい小山と護摩壇、そして豚と牛の像が。
畜産系の慰霊だったのかなーと護摩木を所定の場所に置き、ふと小山を見ると…
あー…鼻ぐりってこれか……
所謂鼻輪の事だったんですね鼻ぐり。しかしスゲェ数……思わず護摩壇に戻り、もう一度感謝と慰霊の念を送りました。
そして戻りつつ途中にあった通路から錨を撮影。
望遠の切り取り画像ですが、確かに錨っぽいです。あと砲弾らしき碑も一緒にパチリ。遠くからですが手を合わせて慰霊の念を送りました。
雨も止んできましたので途中のコンビニで昼食。
今日は夜が豪華な予定なのでお昼は控えめに・・・