艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その381 指宿報国神社(鹿児島指宿市) / 枕崎護国神社(南方神社) & 今獄神社(鹿児島県枕崎市)———— 2023年 7月17日

指宿報国神社

明治十二年二月十八日創建。丁丑の役(西南の役)以后の戦死者の神霊を奉斎してある。(鹿児島県神社庁HPより)

枕崎護国神社

明治二年戊辰の役の戦死者三人の石墓を建立。明治八年、戊辰の役、佐賀の役の戦死者の招魂社を創建。明治十七年官祭招魂社となる。大正五年それまでの東鹿篭桜山小学校敷地から、現在の南方神社敷地へ御遷座。昭和十四年、内務省令により、村社枕崎護国神社となる。昭和五十五年現在の鉄筋コンクリート造りに改められた。(鹿児島県神社庁HPより)

今獄神社

宣化天皇が西国行幸の際、海上風波のため御座船が大島に漂着し、島人これを奉護し還幸の途中、板敷の唐浜というところへ御着船に成り、それより北の方二十余町の俵積田に御殿を建設されたと伝える。これを木花御殿跡という。その後当所にて崩御されたので、その御神霊を今嶽(下り山)の絶頂に奉鎮した。下り山は大切崖聳え立つ霊峰で、蔵王権現宮として尊崇してきた。

天正六年、旧領主喜入家五代季久公は、下山岳中腹の現在地に神殿を建立し、遷座した。明治二年権現宮を廃して、今嶽神社に改めた。昭和二十三年の秋の例祭から、別府校区出身の戦没者の御神霊も合せ祭るようになった。

現在の社殿は、昭和四十二年に竣工したものである。境内の山林には、樟、椎などの大木が繁りまことに神々しい神域である。なお、田施金峰山蔵王権現は、二十七代安閑天皇(広国押武金日命)をお祀りしている。(鹿児島県神社庁HPより)

 

 

後半の天気は・・・晴れ!!

また早朝5時半起きの6時出発で、ホテル近くの垂水フェリー乗り場へ向かいます。

ちなバイク客はワイ一人。

 

 

 

 

割と手軽な40分の船旅です。ちな中で食べようと思ってた朝食うどんは早朝過ぎて食えなかった模様 orz まぁ途中買ってきたパンを食べて燃料補給します。

 

 

鴨池のフェリー乗り場に到着しましたら1時間半ほどかけて指宿へ。「指宿報国神社」の近くにバイクを停めて探索・・・あれ?ここ??

 

 

左手に由緒書きはありますが、鳥居の奥は大木と草叢のみ。もっと奥にあるのかな…

 

 

 

 

 

奥の右手には招魂塚や慰霊塔がありましたのでとりあえず手を合わせて慰霊の念を。

左手に細い道が続いておりますが住宅棟を突き抜けてお稲荷様に続いておりました。もう一回入口に戻って確認してみます。

 

 

 

 

正面の草むらに朽ちた賽銭箱、そして周囲には参拝のための椅子や瓦、神具が転がってる・・・もしかしてここか・・・・?

あさイチでショッキングな風景でしたが、多分何かしらの理由で取り壊されたのかなと諸行無常を感じながら手を合わせました。今回こういうの多いなぁ( ;;)

 

 

気を取り直して次の場所へ。もっと南下して枕崎へ向かいます。指宿も枕崎も以前来たのは5年前になるんだなぁ。

 

 

気を取り直しつつ「南方神社」へ到着です。

 

縁結びのパワースポットねぇ…今まで幾つも行ったけど縁遠いなワイ(=゚ω゚)

妙な気持ちでW鳥居をくぐり本殿へご挨拶。目的地は右か。

 

 

 

ここが地域の英霊を祀った「枕崎護国神社」です。気を取り直してきっちり慰霊の念を送ります。どうか日本をお見守りください。

 

 

ここから少し茶畑と山の中に入って行きます。ちょっと涼しい。

そのままどん詰まりの山裾へ。

 

 

木々に囲まれた清廉な神社、ここが通常の神と共に地区の英霊を祀った「今獄神社」です。通常のご挨拶と合わせて慰霊の念も送ります。しかし良い場所だなぁここ。

 

 

こんな感じで連休後半スタートです!!