艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その377 招魂社(鹿児島神宮) & 招魂社(天御中主神社)(鹿児島県霧島市) / 芙蓉部隊搭乗員宿舎跡(鹿児島県曽於市)———— 2023年 7月16日

鹿児島神宮

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社式内大社)、大隅国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。かつては「大隅八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されていた。(wikipediaより)

天御中主神

六十六代一条天皇の御代、寛弘元年甲辰の創建である。清水城の南側に七ヶ所の突き出たところがあり、それが丁度北斗七星を象って見えることから北辰大明神と称され、国土の安泰と蒼生の景福を希求して崇め祀られた。鎌倉時代の初期、島津忠久公が薩隅日州の守護として下向の砌、家宰本田左衛門尉貞親が大隅国守護代に任ぜられ清水に在城以来、清水一郷の鎮守として奉祀された。(鹿児島県神社庁HPより)

芙蓉部隊

芙蓉部隊(ふようぶたい)とは、大東亜戦争太平洋戦争)末期の日本海軍において、三個飛行隊(戦闘八〇四飛行隊、戦闘八一二飛行隊、戦闘九〇一飛行隊)により編成された進攻夜間戦闘機隊。

「関東空部隊」として発足した当初、自らで「芙蓉部隊」(もしくは「芙蓉隊」)と称し、沖縄戦における菊水作戦中に正式な部隊名として呼称されるようになった美濃部正少佐が指揮を執り、敵飛行場・艦船に対する夜襲を主戦法とした。指揮官美濃部の方針により特攻を拒否した部隊として紹介されることが多いが実際には部隊編成当初から特攻を戦術として採用し、美濃部の命令で特攻出撃をしたことがあり、自発的特攻による戦死者を出している。芙蓉部隊隊員の多くも、自分達が特攻隊の編成から外されたという認識は無く、実態については異聞があるwikipediaより)

 

 

朝8時を過ぎてそろそろ暑くなってきた時分、ゆるりと鹿児島を愛機にて走ります。

次に向かうのは鹿児島神宮。割とデカ目の神社っぽい…駐車場の木陰にバイクを停めてお邪魔しまーす。

   

 

想像以上にかなり立派な神社で何故か焦るワイ。

いやまぁ焦る理由は別段無いのですが、とりまいつも通り本殿と末社に挨拶して手を合わせていきます。天井絵スゲェなぁここ(=゚ω゚)

 

 

目的の招魂社は本殿敷地には無さそう。地図を確認しつつ招魂社を探します…こっちか?

 

 

本殿向かって右手に工事中のブロックがあり、その先に招魂社を発見。ていうか案内筒倒れてるけどええのんかこれ(^^;

気を取り直して慰霊の念を込めて手を合わせました。

 

 

 

 

見かけて超気になってた神馬「清嵐」の餌やり体験は10時からとの事(現在9時ちょい過ぎ)…10分くらいなら待っても良かったのですが、流石に1時間弱は待てないので奉納木馬で我慢しつつ、後ろ髪引かれながら次へ向かいます orz

 

 

ゆるりとした山道ツーリングを楽しみながら天御中主神社(北辰神社)へ到着。

 

 

こちらの末社鹿児島神宮と同じく地域の英霊を祀った招魂社です。慰霊の念とこれからの日本へのお力添えを願って手を合わせました。

 

 

次は少し離れた志布志市…に向かう途中、なんか気になる看板を見かけてバイクを止めます。

 

 

本当に偶然だったのですが、あの芙蓉部隊の搭乗員宿舎跡に通りがかるワイ。

どんな偶然だよと思いつつ今は草生した跡地の写真をいただきました。

 

 

そろそろ暑さを増してきた鹿児島行は続きます。