八面山平和公園
昭和45年5月7日に日米戦没者の慰霊と世界平和を祈念し、公園が整備されました。毎年5月3日に慰霊の集いが行われています。
公園内の恒久平和の塔では、1993年に福岡県星野村の「平和の火」が分火され永遠に燃え続けます。また、園内には「日米両国の友好と世界平和」の願いを込めてつくられた少年平和像などがあります。(中津市HPより)
F-86(戦闘機)
F-86 セイバー(North American F-86 Sabre )は、アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発し、世界各地で運用されたジェット戦闘機。愛称の「セイバー (Sabre)」は、サーベルの意。
(中略)
日本においては、航空自衛隊の主力戦闘機としてF-86Fを435機、全天候型戦闘機としてF-86Dを122機配備した。F-86Fのうち18機は偵察機RF-86Fに改造された。航空自衛隊での正式な愛称は旭光(きょっこう)。(wikipediaより)
ムっちゃん平和像
この「ムッちゃん平和像」は、昭和五十二年に毎日新聞社大阪本社が企画した
戦争体験記(終戦三十三回忌の夏)に、京都府宇治市の主婦中尾町子さんが疎
開先の大分市で出会った少女「ムッちゃん」の思い出の手記を投稿し、それが
記事として掲載されたことが建立のきっかけとなりました。
横浜で両親と弟を戦災で亡くし、大分のおばさんを頼って疎開していたムッ
ちゃん(当時十二歳)は、結核を患い飢えと孤独の苦しみの中、昭和二十年の
終戦直後、西大分駅近くの防空壕の中でひとり寂しく死んでいったという。
この戦争悲話は、全国的な反響を呼ぶこととなり、ムッちゃんの記念像建立
にと各地から約六百五十万円の寄付金が寄せられ、その平和を願う多くの浄財
により、昭和五十八年八月十二日、ここ平和市民公園ワンパク広場に「ムッちゃ
ん平和像」(村上炳人)が建立除幕されました。
二度と戦争による悲惨な惨禍を繰り返さないためにも、この平和像建立を機
に平和への誓いを新たにするとともに、平和像が恒久平和のシンボルとして皆
様に愛され、そして平和の輪がさらに広がることを願っております。(説明文より)
粕谷欣三
昭和二十年春遅く大東亜戦争末期に方り 沖縄攻防戦は酣で主要都市は連日の様に空襲を受け 戦局は好転せず国民は悲壮な決意で本土決戦に備えて居た。
五月五日快晴の朝 北九州を爆撃して南方基地へ帰還中のB29十数機の編隊が現れた。これを追撃する大村海軍航空隊の日本戦闘機は飛燕の様な速さで襲いかかった。果敢な体当りである。銀翼が傾いて空の要塞B29は火を噴き乍ら東北方明治村の山中へ墜ちて行った。同時に我が戦闘機も亦当地の上流八百米の谷深く突っ込んでいった。この戦闘機こそ当時日本海軍が誇る紫電改であり 単身操縦して散華したのは粕谷少年航空飛行兵未だ紅顔十九才の若桜であった。
遺体は久保公民館に運ばれて安置された。埼玉県入間郡三ヶ島村(現所沢市)の出身である。
宮ヶ瀬川の流れは清く緑滴る渓谷に雄魂は眠ったままである。三十余年を回顧して吾々は相諮り茲に碑を建て国家永遠の礎を築いた有形無形の教訓を永く後世に伝えんとする。(碑文より)
えー、週間天気予報では雨だったのですが今日は超晴れ!
ということで急遽予定を立てて大分周囲の慰霊碑・記念碑等を巡ってまいりました。雨が降ったら艦これ&プラモの予定だったんですけどね…(晴れやかな笑顔)
そんな感じで今回は大分方面へ出発です。
そして到着。
とりま誰もいない公園…駐車場の日陰にバイクを置いて突入します。
山の斜面に作られた小さな公園なのですが、平和像や慰霊碑・恒久平和の灯など結構な展示が並んでおります。ひとつひとつ拝見し、手を合わせて見学するワイ。
そして上のほうには…
ここ八面山上空で散華した米兵・日本兵の慰霊碑が並んでおります。其々に手を合わせて慰霊の念を送りました。
更にそこから左手にゴー。
ぶっちゃけ道だか山だか判らないレベルの道の先に「日本人英魂碑」を発見。手を合わせて慰霊の念を送りましたら更に先にあるという「西日本一の寝釈迦」を目指しま・・・10分ほど山道を登って「ワイそこまで寝釈迦見たいか?」という事実に気付いて帰還。冷静な判断が必要です。
そして駐車場から少し上にありました戦闘機に向かいます。
このずんぐりした胴体はセイバー!?
なんでこんなところに…エンジンは抜いてありますが以前聖博物館で見た以来ですなぁ(*''▽'')
他に人がいないので貼りついて写真撮影しまくりました。
バイクに戻り、駐車場でお弁当開いてた親子に挨拶したりしながら次の場所へ。
ここが大分市内にあります「ムっちゃん平和像」です。
戦災孤児な上に結核で無下に扱われたお嬢さんということですがなんかもう文章読んでるだけで泣けてくるワイ。ムっちゃんの花基金に多少のお金を入れて手を合わせました。
そしてそこからまた次の場所へ。
大分市内から1時間半くらいで超山ン中。
タイヤが横滑りしそうな道を走り抜け、今日最後の目的地へ到着です。
ここが「故海軍一等飛行兵曹粕谷欣三鎮魂碑」です。
出来事的には以前参拝しました「殉空の碑」のB-29を落とした方のようです。改めてこんなとこまで爆撃機が飛んできてたんだなぁと恐ろしく思った次第です。紫電改の残骸と共に手を合わせ慰霊の念を送りました。どうか安らかにお眠りください。
こんな感じで大分の山中を抜けて帰還しました。
これから梅雨に入ると出辛くなりますな…艦これイベントがんばりましょう!