地震動の擦痕
地震動の擦痕(じしんどうのさっこん)は、静岡県伊豆の国市南江間にある魚雷に付いた摩擦痕。国指定の天然記念物。
1930年(昭和5年)3月10日、旧・田方郡江間村江間尋常小学校の校庭に忠魂碑が建立された際、海軍省より譲り受けた魚雷(長さ約5メートル)が忠魂碑の付属物として展示された。
同年の11月26日に発生したマグニチュード7の北伊豆地震により、魚雷を載せていた台座の突起物により魚雷腹部に曲線状の傷がついた。魚雷自体は重量が大きかったため地震による動きは乏しかったが、台座のほうは軽く不安定であったため、地震による激しい揺れによって、台座から突き出ていた突起物が地震計の針の役割をした結果、天然の地震グラフ曲線ができた。傷の長さは全長725mmに及ぶ。
4年後の1934年(昭和9年)1月22日、この傷のついた魚雷そのものが国の天然記念物に指定された。2013年(平成25年)に、神奈川県茅ヶ崎市にある旧相模川橋脚が指定される(液状化現象を対象とした指定)まで、日本に数ある国指定の天然記念物の中で、自然物でないのはこれだけであった。伊豆の国市南江間の旧江間小学校跡地の一角に展示されている。(wikipediaより)
沼津市戸田造船郷土資料博物館
沼津市戸田造船郷土資料博物館(ぬまづしへだぞうせんきょうどしりょうはくぶつかん))は、静岡県沼津市戸田にある博物館。駿河湾深海生物館(ミュゼ ヘダビス)が併設されている。
「戸田村の洋式帆船建造地1ヶ所及艦長プチャーチン等の関係遺品45点一括」が静岡県指定史跡となったことを機に、静岡県田方郡戸田では保存展示施設の建設の機運が高まった。民間企業や住民からの寄付や、ソビエト連邦政府からの500万円の寄付をもとにして、1969年(昭和44年)7月1日、明治百年記念事業の一環として戸田村立造船郷土資料博物館(へだそんりつぞうせんきょうどしりょうはくぶつかん)として設立された。(wikipediaより)
ディアナ(フリゲート、1853年)
1853年建造のロシア軍艦ディアナ号は、フリゲートに分類される帆船である。1854年(安政元年)、日露和親条約締結交渉のためエフィム・プチャーチンの乗艦として箱館・大坂を経て下田港を訪れた際、同年11月4日(12月23日)午前9時過頃に発生した安政東海地震による津波で大破した。修理のため下田港から戸田港に向かう途中強い西風に煽られ、宮島村(現、富士市)沖で沈没したと伝わる。沈没地点は不明であり、富士市は沈没したと伝わる田子の浦港付近を調査したが、発見には至らなかった。その調査の様子は1988年(昭和63年)に『ディアナ号沈船調査報告書』としてまとめられている。
プチャーチンは、乗員の帰国のためアレクサンドル・モジャイスキーらの指導で日本の造船工により帆船「ヘダ号」を建造。日本の造船工に洋式造船技術が伝わるきっかけとなった。
2つあった錨のうち、1つは1954年(昭和29年)に引き上げられ、沼津市戸田造船郷土資料博物館に関連資料とともに展示。もう1つは1976年(昭和51年)に引き上げられ、富士市五貫島の三四軒屋緑道公園でプチャーチン像とともに展示されている。
ディアナ号本体の引き上げは、1970年代までに何度が計画が立てられたが、沈没箇所と思われる付近の海底には大量のヘドロが堆積するなど条件が悪いことなどから実現することは無かった。(wikipediaより)
神奈川の雨雲から逃げるように海辺を走破するワイ。
今回のルートは高速道路ではなく、太平洋側の浜をゆっくりと走っていきます・・・ていうか、ここの自転車や原付って殆どがサーフボードを横にぶら下げるフックを装着していて一寸アレです(^^;
なんかスラムダンクで出てきたような駅を通り過ぎ、雨も降らず良い感じで進んでいきますと先の方になんか不穏な雲が…
まぁ合羽は良いかなーとか考えながら箱根に突入。
御覧の有様だよ!と言うレベルで箱根は超濃い霧が。
慌てて合羽を着て前を進んでいるハイエースにひっついて登ります…3台前の車のテールが見えねえ。マジでダンケでしたぜハイエースさん。
箱根を超えると霧も雨もなく好天でしたのでクロスアウッした後は、目的の場所へ向かいます。
そして到着。
割と色々な魚雷を見てきたのですが、ここまで立派に展示されているのは初めてです。
これは展示されていた魚雷が地震によって偶然に傷で地震グラフを描いたというもの。ちなみに天然記念物…こういう天然記念物もあるんですな。
裏にはセットで展示されていた筈の忠魂碑の跡地が。何かしらの理由で撤去された模様・・・ちょっと残念です。
そこからまたゆっくりと町の中を抜け、コンビニで甘味やスナックを軽めに食いつつ(理由は後述)伊豆の端っこへ向かいます。
そして到着。
途中「本当にこの道でええのんか」と心配になるくらい雑で細い道を通らされますが正解だったようです。入口には目的だった機雷(ブイとして加工)とディアナ号(昔のフリゲート艦)の錨が並んでおります。ええもん見た
とりあえず目的のブツは見たのですが、折角なので博物館内も拝見することに。
造船郷土資料館のほうは撮影禁止だったのですが、併設してあります駿河湾深海生物館は撮影OKと言うことで突撃開始。入口の芸人さん…どっかで見たなぁと思ったらココリコ田中さんでありましたか。思ったよりちっちゃい?
内部は標本バリバリで素晴らしい感じ。想像以上に楽しい場所でした。
造船のほうよりこっちのほうが好きかもしれんワイ(=゚ω゚)
空きっ腹を抱えたまま、この日最後の場所へ向かいます。