若獅子神社
昭和40年(1965年)12月、陸軍少年戦車兵学校の跡地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため若獅子の塔を建立したのを起源とし、昭和59年(1984年)10月に神社を創建。
御霊の慰め、平和を祈念といった思いから、陸軍少年戦車兵学校同窓生ほか支援者により建立された塔。「若獅子」とは、戦時中の少年戦車兵の愛称である。若獅子の塔は金沢庸治の設計、若獅子の像は日本芸術院賞受賞者の内藤春治の製作による。
毎年8月15日には、「みたま祭」が行われる。(wikipediaより)
九七式中戦車
九七式中戦車 チハ(きゅうななしきちゅうせんしゃ チハ)は、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の主力中戦車である。
1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産され、九五式軽戦車 ハ号とともに第二次世界大戦における日本軍の主力戦車として使用された。(wikipediaより)
パンプキン爆弾
パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)は、第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である。1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる。単に「パンプキン」と呼称される場合も多い。
この爆弾は原爆投下に備えた爆撃機乗員訓練のためと、今までに例のない特殊な形状をしたファットマンが爆撃機(原爆搭載可能なように特別に改修したB-29)から投下され爆発するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のためにいわば「模擬原爆」として製作された。(wikipediaより)
というわけで早くも後半戦の開始でございます。
昨日の天候は、晴れと言いつつ多少の曇り(富士付近で雨の横を通り過ぎる)でそこまで強い日差しはなかったのですが、今日は富士周囲以外はピーカンとの予報。
朝方(6時)はかなり涼しい感じで出発。目指すは富士宮にあります「若獅子神社」です!
そして到着。
ここは「陸軍少年戦車兵学校」の跡地で同校戦没者を祀った神社との事。朝イチなので誰もいない・・・と思ったら剪定されてる人がいらっしゃいましたので、そちらに一言ご挨拶して本殿に詣でます。
本殿左には「若獅子の塔」という慰霊塔が。
少年戦車兵ということは若い子ばっかりだったんだろうなぁ、としんみりしながらこちらにも手を合わせます。どうか安らかにお眠りください。
そしてその奥には、今まで見たことない物体が鎮座しております。
サイパンで使われていたものらしく、弾痕や破損箇所も生々しく残っております・・・発見当時は中に遺骨も残されていたとの事でしたので、こちらにも手を合わせて慰霊の念をお送りしました。
朝から濃密な時間を過ごした後、このまま同じ静岡市にあります「扇町公園」へ向かいます。
途中でジリジリと焼くかの如き日差しががが。
とりあえず休憩なしで到着。
ここが「パンプキン爆弾(模擬原爆)」の爆心地にて「平和の礎」という慰霊碑があります「扇町公園」です。慰霊碑にある通り50人近い死者を出した爆弾・・・自分は今回勉強するまで知らなかったのですが、原爆(ファットマン)を落とす練習台として作られた爆弾を日本各地に結構な数を投下していたらしいのです・・・。
御焼香とともに、無念と慰霊の気持ちを込めて手を合わせました。
ちょうど公園にあった水道で例のジャケットを水浸しにし、次に向かいます。