第18師団 (日本軍)
第18師団(だいじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。日露戦争後の1907年(明治40年)と、支那事変(日中戦争)勃発後の1937年(昭和12年)に編成された。通称号は皇室の紋章「菊」を与えられた事から「国軍最強」を自負し、他の兵団からも一目置かれていた。派兵や転属などで戦力を削がれながらも終戦まで戦い抜いた兵団である。久留米にあったのは歩兵第48連隊。(wikipediaより)
皆様、イベントの進捗はいかがでしょうか。
自分はとりまFletcher掘りまで終わって明日からE-4甲と言った感じです。石垣先に掘るのも良いかも。
今回は掘りが渋いッスなぁ。
閑話休題、6月は雨+休日の私用が多く休みがありませんので、唯一自由が効く今日の午後から久留米の戦争遺跡を探索してきました。
ちなみに今回の情報源はこれ。
本屋に行ったうちの親父が「お前こういうの好きやろ」と突然買ってきてくれました。いや、好きだしスゲェありがたいんですけど、なんつーかエロ本の趣味を知られたような変な気恥ずかしさ・・・まぁいいんですが(^^;
この本で見かけた「久留米の戦争遺構」を中心に探索します。
最初は駐車場の一番近くにあるっぽい「ドイツ兵俘虜慰霊碑」へ。Googleマップを参考に行ったのですが場所が全然違うw ナビ片手にうろうろしてましたら、警備員のひとが「わからんなら聞きなさい!」と言ってくださったので場所を聞いて向かいます。
そして到着。なんかモダンな感じの慰霊碑ですが、手を合わせて慰霊の念を送りました。
続いて近くにあるっぽい「遥拝台」と「円形野外講堂」を探して競輪場を右往左往…競輪には全く興味無いのですが、多少音はしているので何かあってるかも知れません。
後で行こうと思ってた忠霊塔を先に発見。
せっかくなので先に手を合わせて慰霊の念をば。
競輪場を覗くと、二人組のレースがなんかやってました。客は殆どいねぇ様子。
そのまま競輪場を半周しましたが遥拝所へが分からないので、先程言われたとおり警備員さんにもう一度尋ねますと「駐車場のほうに入り口があるよ!」との事。戻るのかw
来た道を戻り、言われた小道へ入っていきます。
森の中の結構な急斜面を登って行くと…これかな!?
フッハー!!
なんじゃこりゃぁ!5m以上はありそうな塔が突然目の前に・・・超興奮して近づいていきますと、裏に入り口があるのを発見、そして突入。
バカが知能指数の低い落書きをしておりますが、今はそれどこではありません。ゆっくりと上へ登っていきます。
塔の屋上には「宮城遥拝」「皇紀二千六百一年」と掘られた杭が。こちらの方向に皇居があるとのことで、みんなそっちに向かって遥拝してたのですねぇ。
そこから小山を下って行きますと・・・
これまた目眩がしそうな遺構が。
立入禁止との事なので、周囲から写真をバンバン撮っていきます。本当にステキな場所ですなぁ。
次はバイクに戻って近くの公園へ。
上から見ただけでは皆目わかりませんでしたが、階段を降りてみると見事な石積みが。これは「臨川台」と言う高良川を監視するための高台だったらしいです。立て看板も何も無いので普通はわからんよなぁこれ。
そしてその公園から5分ほど大通りに向かいますと、
これも単なるコンクリではなく「給水塔」だったものらしいです。戦後は土を充填して潰してしまったらしいですが、ぐるっと林を囲んでいます。
裏に回ると階段がありました。
給水塔であったことは周囲のコンクリートを見るしか無いですが、こういう遺構の残り方もあるんですねぇ。
こんな感じで貴重なお休みを堪能した一日でした。