ニコルソン中尉碑
熊西緑道の途中、熊西小学校の近くにあるモニュメントです。
『故 R・ニコルソン中尉に捧げる』と地面に置かれた説明板に書かれています。
1942年11月、この地域の上空を飛行中だった合衆国空軍のロドニー・ニコルソン中尉。
乗っていた飛行機が故障したのに気づきましたが、住宅地に墜落して被害が出るのを防ぐため、最後まで操縦桿を離さず、三菱化成の空き地に墜落し、死亡したそうです。
このモニュメントはその人道的行為を讃えて、地元の彫刻家 母里 聖徳氏が作られたものだそうです。
生活感あふれる住宅や学校のある地域の片隅に、静かに立つモニュメントです。(北九州市 時と風の博物館より)
メモリアルクロス
小倉北区の市街地を眼下に望む足立山中腹の地に建てられた大きな十字架は「メモリアルクロス」と言われ、朝鮮戦争中(1950~1953)に戦死した国際連合軍将兵の霊をなぐさめるため、当時の駐留米軍小倉師団の司令官達によって1951年(昭和25年)に建設され、日本側(旧小倉市・旧門司市・旧戸畑市・旧八幡市・旧若松市)に譲渡されたもので、高さ約20㍍のジュラルミン製十字架で朝鮮半島のほうに向いて立ってます。
あまり伝わってない事実ですが、北九州の港・飛行場から多くの連合軍将兵が朝鮮半島に向かい、多くの戦死者が帰ってきました。
建設当時は丘の先端に建てられていたので旧小倉市各所から全容を眺める事が出来ましたが、その後眼下の宅地開発で足元が削られ倒壊の危険性があったので50㍍後に移設した為、先端の十字架部分しか見えなくなりました。
当時は「メモリアルクロス」の台座に登れば、小倉・戸畑・若松・門司などが見渡せる絶景ポイントでしたが、今は生い茂る木々に視界が遮られ、鎮魂のために朝鮮半島を向いてるという十字架も寂しげです。(北九州市 時と風の博物館より)
このところ雨続き…皆様いかがお過ごしでしょうか。
先週日曜日に動こうとしていたのですが、道中で大雨に遭いパンツまでぐっしょりとなってしまったので途中撤退。今回改めて近場の慰霊碑関連を巡ってまいりました。
天気が安定していない予報でしたので、前回に引き続き今回の相棒も新人のVストローム250。ワイドスクリーンとスタンドアシストを取り付けましての出撃です。
ちょいお昼をまわったくらいの時間に出発しまして90分弱で第1目的地へ到着!
ショッピングモールのすぐ裏にあります小さな公園、ここに静かに佇んでおりますのが「ニコルソン中尉碑」です。戦中であれど民家に落ちる事を拒み、空き地に墜落して亡くなったR・ニコルソン中尉のために作られたモニュメントという事でしたので、手を合わせて慰霊の念を送りました。
ここから1時間強走りまして次の場所へ。
Googleマップの指し示すところへ向かったのですが…
住宅街の一角から割ときっつい階段が orz
バイクを置いて登って行きます・・・って上まで車道あるやん!ちょい疲れながら「メモリアルクロス」へ到着です。
ここは朝鮮戦争時に北九州から出兵した英霊を慰霊する十字架との事でしたので、同じく手を合わせて安らかなれと祈りました。
曇天の下ですが沢山の子供が遊ぶ「芦屋中央公園」に向かいます。
そして到着。
公園の奥にありますのが地域の英霊を祀った「戦歿者慰霊塔」です。なんかシャッター付き倉庫の上にあるという謎な設備でしたが、焼香台もありませんでしたので手を合わせて御見守りくださいと祈りました。いいなぁこの公園。
そして15分程走りまして「岡垣町役場」へ。まぁ日曜なので閉まっていましたが。
役場の裏にありますのが、同じく「戦歿者慰霊塔」です。ここも地域の戦没者を祀った塔でしたので、同じく慰霊の念を送りました。どうぞ安らかにお眠りください。
ここから更に北上して海辺の道を走ります。風が強くて寒い・・・
本日最後の目的地「鐘崎萬霊塔」に到着です。
広い敷地の奥に慰霊碑やお地蔵様が並んでおりましたので、ご焼香して慰霊を祈ります。どうか平和になるよう見守り下さい。
この後は帰りにある道の駅で寒さに凍えつつソフトクリームをいただいて帰宅しました。次回はCBRで出かけたいなぁ。