和歌山忠霊塔・平和祈念資料館
昭和15年9月、歩兵第61連隊の戦没将兵を葬った陸軍墓地の地に忠霊塔の建設が企画され、昭和16年1月に完工し5月に竣工式が挙行された。
その後、和歌山市当局は国道42号線から忠霊塔外苑入口まで250mの参道を建設、全国に誇りうる忠霊塔の出現を見た。.昭和20年8月、敗戦により状況は一変。軍国主義復活を危惧する批判から忠霊塔の撤去が検討されたが、「平和塔」と改称することにより最悪の事態は免れた。
昭和56年6月、祭典実施・遺族集会等のための平和会館が完成し、一階が戦争遺品・資料等を保存展示するための平和祈念資料館として公開された。
忠霊塔内には37,500余の英霊が合祀されている。(依代之譜より)
和歌山県護国神社
昭和3年に入り和歌山県招魂社建設期成会が発足、招魂社建設に向けて第一歩を印した。その敷地として、徳川時代からの神域であった現在地を和歌山市から譲渡をうけた。(昭和12年9月29日の和歌山市議会において3,090㎡の無償譲渡議決)
昭和12年6月11日、木造流れ造り44㎡の御社殿および木造平家一棟114㎡の社務所が創建された。(この社務所は、昭和20年7月米機の空襲により焼失、昭和22年木造43㎡の社務所が再建されたが、粗造建物であったため、老朽化に伴い、昭和49年撤去された)
昭和14年4月1日内務省令により、全国一斉に招魂社は護国神社と改稱され、内務大臣指定神社となる。(和歌山県神社庁HPより)
とうとうこの旅の最終ポイント、和歌山県和歌山市に到着です。 思ったより都会
ナビに導かれて住宅街を抜けて大きめの広場へ。何か終わった後のような雰囲気ですが、とりあえず到着です。
トラックを横付けしてテントの収納作業をやってらっしゃるようなので、邪魔にならないように忠霊塔に手を合わせます。
そして同じ敷地内にある平和祈念資料館へ。
実は今日先程まで慰霊祭があってらっしゃったと言うことで、今日はもう閉めて帰ろうとしていたとの事…マジッスカ。
「どこからいらっしゃったの?」と聞かれましたので「福岡からです」とお答えしますと「そんな遠くから!!」と資料館の電気を付けて開けてくださいました。本当にありがとうございます。
邪魔にならないようできるだけ素早く拝見させて頂きます。
関連の資料をこれでもか!と詰め込んだ感じの資料館でした。細かく拝見したかったのですが、時間もあるので一通り拝見していきます。
その一角に「練習巡洋艦香椎」の模型を発見。なんでここに香椎が…。
こんな感じで管理人さんにもう一度ご挨拶しまして、資料館を後にしました。
そして資料館から30分弱、最終目的地であります「和歌山県護国神社」へ到着です。
和歌山県護国神社は和歌山城公園の中にあるということなんですがこの日はこどもの日のイベント中と言うことで正面の道は車通行禁止、裏の広場に停めて徒歩で向かうことになりました。
城跡を抜けると何故か小さな動物園が。暑さで溶けかけてるペンギンや 雪風 ビーバーを愛でながら奥へと進みます。
そして最奥部に護国神社がありました。
こちらでも慰霊祭があっていたらしく、境内にはテントと椅子が並んでいます。邪魔にならぬよう気をつけて参拝しました。
周囲の慰霊碑にも手を合わせます。この旅行最後の参拝なので、総括の思いを込めて祈らせていただきました。
これにて全ての旅程が終了です。いつもどおりフェリー乗り場近くのファミレスで時間を潰し、酒と食料を持って乗り込みます。
今回は思いもよらぬ被害(?)も受けましたが目的は全て達成!と言うことでS勝利!何とか無事に完走できました。
次の旅行は7月の連休を予定しております。
…その前にイベント頑張らねば!!みなさんも春イベ頑張ってくださいね!!