三柱神社
三柱神社は、旧城下町から堀を一本隔てた外に位置します。柳川城から見ると、ちょうど鬼門の方角にあたります。
社名の由来は、祭神として戸次道雪、その養嗣子にして藩祖立花宗茂、道雪の娘で宗茂の妻誾千代を祀っていることによります。しかし、当初からこの三柱の祭神が一所に祀られていたわけではありません。
道雪は天明3年(1783)梅岳霊神の神号が贈神され、翌年神号が柳川に下着、三の丸長久寺(現在廃寺)内に梅岳宮が建立され、ここに祀られていました。一方、宗茂と誾千代は日吉神社(坂本町)の近くにあった唯一宮に祀られていました。
文政3年(1820)、宗茂に松陰霊神、誾千代に瑞玉霊神の神号が贈神され、同6年その2神が梅岳宮に遷宮合祀されて、三柱神社となりました。しかし、これでは規模が小さいため、三柱神社は新たに規模を拡張して、高畑の地に造営されることになりました。
文政8年に造営が開始され、翌年8月16日に遷宮式が執り行われました。
こうして新たな地に出来た三柱神社は「御新宮」と呼ばれ、藩内の崇敬を集めることになりました。(柳川市公式ウェブサイトより)
柳川護国神社
明治元年 成辰〇〇英霊ヲ奉祀スル押武社建立
仝 八年 宮祭招魂社二列ス
仝十二年 各戦役ノ英霊ヲ合祀ス
昭和十四年 護国神社ト改称ス
仝二十六年 大東亜戦争ノ英霊ヲ奉祀ス
(建立碑より)
ぽかぽかしてきた気候の中、岡山公園を出て30分程・・・今度は柳川にあります「柳川護国神社」がある「三柱神社」を目指します。しかし神社に近づくにつれてちょっとした渋滞ががが。それもそのはず秋季大祭『おにぎえ』が開催中との事。
とりあえずいつもの通り神社の裏側に連れて行くナビに率いられて神社の裏側に・・・ってまさか川を挟んでの裏側に連れて行かれるとは思っておりませんでしたぜ。仕方ないので自力で神社へ向かいます。
表参道ではでっかい神輿が暴れてたり、賑やかな山車や奉納の舞があってたりするのを横目で見ながらとりあえず本殿に参拝。境内にも鎧武者やら火消し装束やらがわらわらいまして一寸凄い。
その辺をスルーして、川の向こうからも見えてた石碑(多分忠霊塔)目指して人気の無い方向へ歩きます。
発見。
忠霊塔と赤い鳥居の分社に手を合わせます。護国神社はもうちょっと先っぽい。
無事に到着。こっちはマジで人がおりませんので、静かに参拝した後は周囲の記念碑を確認。
謎の物体を発見しましたがこれが何だかわからない…社務所にて写真を見せてお伺いしたところ「昔は記念碑として砲弾が祀ってあったが、太平洋戦争の供出で無くなったまま。その台座」という事でした。色々ありますなぁ。
そして次の場所「黒木町護国神社」へ向かいます。今回もまた神社裏にナビゲートされたのですが、今回はちょっと困ったことに。
駐車場にバイクを停めて、草が生す階段を上る先にある神社…の筈だったのですが、なんと倒木で屋根が大きく破損しておりました。
「こりゃ危ないなー」と遠巻きに見るだけ見て、遠くから手を合わせて退散します。台風で倒れたにしても残念な…(><)
また折を見てお伺いしたいと思います。
注:後日お伺いしました。
次回へ続く!