三重津海軍所
三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)は佐賀県佐賀市川副町大字早津江字元海軍所に所在し、佐賀藩が1858年(安政5年)に設立した蒸気船等の船の修理・造船施設。西洋船運用のための教育・訓練機関も兼ね備えていた。実用的な国産初の蒸気船である「凌風丸」を製造した。2000年代に入り発掘・文献調査が進められ、2013年に国の史跡に指定、2015年には「明治日本の産業革命遺産 」として世界文化遺産に登録された。(wikipediaより)
伊藤整一
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。
伊藤は戦艦「大和」による海上特攻である天一号作戦参加を命令される。坊ノ岬沖海戦において大和はアメリカ航空艦隊の艦載機による総攻撃により撃沈され、作戦中止の具申と駆逐艦による大和生存者救助を命じた後、伊藤は大和の長官室に残り、戦死した。54歳没。4月7日付で海軍大将に特進。戦没者殊勲として勲一等旭日大綬章を受章。(wikipediaより)
加来止男
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。
ミッドウェー海戦でも飛龍は3空母(赤城・加賀・蒼龍)が次々に被弾・炎上する中で生き残り、アメリカ軍空母ヨークタウンを戦闘不能に陥らせたが、飛龍は、艦載機を使い果たし、アメリカ軍艦載機から急降下爆撃を受け、飛行甲板に4発の爆弾が直撃して大破炎上する。機関出力も低下して、遂に飛龍の最期を悟り6月6日午前0時15分、総員退艦を命じる。そして、加来は司令官の山口と共に退艦を拒否して艦と運命を共にしたのであった。享年48歳。(wikipediaより)
昨日と違い今日は晴天!!
と言うことで、今日は佐賀から南下する形で三重津ー大牟田ー熊本とぶらり旅を敢行して参りました。
先ずは三重津にあります「三重津海軍所跡」に向かいます。
川縁にプレハブでも立ててあるようなイメージ(失礼)だったのですが超立派な建物。
なんと駐車場も満車・・・まぁバイクは関係ありませんでしたが。
建物内の展示物はオール写真禁止でしたので、サクッと受付を済ませてVRゴーグルを借り受けます。
そう、ここはVRゴーグルで歴史探訪が出来るという画期的な場所なのです!
ちなみに今までVRゴーグル使ったのは記念艦三笠でのVR日本海海戦以来です。ちょっとワクワクしながら受け取りますが・・・
(ピンぼけ注意)
えー、なんか想像したよりも超軽い(紙製)んですが無料ですし文句は言いません。こいつと片耳ヘッドホンを受け取りまして、好天の川辺へ向かいます。
川辺りにはいくつもの遺跡があり、老若男女がスコープを覗きながら散策しております。ちょっと怖い
スコープ内の造形もかなりアレっちゃアレな出来なのですけど、確かにこの遺跡をガイドなしでほったらかしだとあんまり集客は望めんなーという感じです。低予算VRでこれだけの人が集まるんでしたら大成功なんじゃないでしょうか。
30分程散策を楽しみ、施設内の展示も一通り拝見してから次の場所へ。
次の場所は戦艦大和の艦長でもありました「伊藤整一大将」の墓地へ向かいました。
観光化されているわけではないのですが、立て看板や案内板等色々あります。
小さな路地を抜けて墓所へ到着。
墓所なので、静かに手を合わせて慰霊の念を送らせていただきました。
どうか安らかにお眠りください。
そしてそのまま熊本まで南下して八代城跡にあります八代宮へ。
天気が良いと移動も楽しいッス。
先ずは参拝して道中の安全祈願。
件の慰霊碑を探すのですが・・・入口近くになんぞある?
こちらは「霊社」と言い、八代市郡での英霊を奉った場所との事です。念入りにお祈りして感謝の気持ちを伝えました。
そして更に右奥・・・ありました!
ありがとうございました。安らかにお眠りください。
こんな感じで冬空の晴天を楽しんだ1日でした。
帰りのSAで見かけた「黒糖ドーナツ棒アイス」どうせなら中まで黒糖で揃えてほしかったなー。