正善寺(栃木県)
正善寺の阿弥陀如来は、昭和51年に日光山輪王寺より勧請(かんじょう)された仏様です。身の丈約1メートル、当時奈良博物館の館長をされていた石田茂作氏に鑑定していただいた書簡によると、製作は鎌倉中期とされ、日本で最初の仏師とされる定朝様式(じょうちょうようしき)の阿弥陀如来とされています。
(中略)
昭和53年、鐘楼堂落慶
鋳匠は人間国宝 香取正彦氏の弟子で、足利の鴇田力氏(銅は戦艦陸奥に使われていたもの)(正善寺HPより)
邑楽護国神社
明治2年9月 館林藩主 秋元礼朝、戊申の役の戦歿者39柱の霊を祭祀、
近藤村大谷原の調練場に招魂祠を鎮座する。
明治8年4月 関東では館林,宇都宮,黒羽の3社が太政官達に依り官祭招魂社となる。
明治10年1月 西南の役戦歿者20柱の霊を合祀する。
明治14年4月 現在地の代官町に修復を加え遷座する。(22日)
大正13年4月 邑楽郡内3千余柱の霊を合祀、招魂会を発足する。
例大祭4月23日春季官祭と定め毎年執行。
昭和14年4月 邑楽護國神社と改称
昭和53年4月 例大祭は3年に1回、奉賛会の主体で神職・有志・遺族会等の参列を以て、歴史と伝統を受け継ぎ行われている。(由緒書より)
昼を過ぎて一気に暑くなった太陽の下、今回の最東端であります栃木県は「正善寺」に到着です。こちらはHPにあります通り戦艦陸奥の 鉄 銅を使った鐘があるという事なのですが…
とりあえず人の気配のない境内へ。先ずは本殿にご挨拶しまして周囲を見渡します…あれかな?
今まで見た陸奥の鐘の中でも一番普通っぽい感じですが、先ずは手を合わせてお祈りします。
どこにも由緒書等がありませんので、とりあえず見れる範囲で確認したところ「昭和五十三年九月吉日」との刻印がありましたので間違いないと思います。改めて手を合わせ、慰霊の念を送りました。
折角なので、少し周囲も拝見してみます。
こちらは全長103mと言う足利市最大の古墳の石室との事。奥に弁財天様が祀られているという事なので、入り口から手を合わせて旅の無事を祈りました。
栃木県からまた群馬県に舞い戻りまして、今度は館林市へ入ります。
「邑楽護国神社」へ到着!…は良いのですが一寸荒れた感じが(^^;
全体的にまばらな雑草と落ち葉の所為か何かすごい寂しい感じ。とりあえず本殿にご挨拶した後は境内の慰霊碑をまわります。
一つ一つに手を合わせ、どうか安らかにお眠りくださいと祈りました。
本当はもう一つ東京都内の神社を周りたかったのですが、なんとトンネル内で事故のため大渋滞に逢う羽目に orz
今回は見送ることにして横須賀のホテルへと滑り込みます。なんと予定より2時間半遅れ…東京は怖いところです。
この日はそのままホテルで弁当を食べて次の日に備えました。