大慈寺
一六〇四年に赤塚の大藪に大慈寺として創立。開基となったのは草分け庄屋石黒弾正右衛門茂晴で、開山は骨外芳徹大和尚(種月寺十三世)、撥僧は万震寿鉄大和尚(長岡藩主席家老稲垣平助の子息)。
(中略)
山門は、二階が鐘楼となって、その梵鐘は太平洋戦争で瀬戸内海に沈んだ戦艦陸奥の引き揚げられた砲塔の鋼鉄で鋳造されたもので、梵鐘をつき、戦没将士の霊を弔い、平和を祈っています。(現地看板より)
赤塚神社
明治初期までは、伊邪那岐神社と称されていました。赤塚では、神明社(旧船江神社)に次ぐ歴史を持つ神社です。
(中略)
本殿左側に稲荷社、右側に粟島社があります。また、日清・日露・大東亜(太平洋)戦争で戦没した英霊を祀る招魂碑があります。(現地看板より)
宮城を抜け福島を通って新潟へ。
少し雪が心配だったりしたのですが、その心配も無く良い天気の下をゴキゲンにドライブ・・・やっぱレンタカーじゃ味気無ェなぁ orz
バイクで来られなかったことを悔やみながらも、久しぶりの新潟県に到着です!
今回の新潟はメイン目的地の一つの大慈寺。ここには陸奥鉄の鐘の一つがあるということで遠路遥々やってきた次第です。
入口の鐘楼に見えるのが多分陸奥鉄の鐘。
お寺の駐車場に車を置いて本殿にご挨拶・・・したのですが、閉まっていて誰もいらっしゃいません。とりあえず本殿とつながっているご自宅のほうの呼び鈴を鳴らしてみますと、お婆様がいらっしゃっいました。
ワイ 「(略)鐘を拝見しても良いですか?」
お婆様「階段が急だから気を付けて登ってくださいね」
と言うことで鐘楼へ突撃です!!お婆様対応ありがとうございます!!(落ち着け俺)
かなり使い込まれていますが、紛う事無き陸奥の鐘です。
手を合わせて慰霊の念を捧げた後に写真を撮りまくります。鐘楼の端はちょうど膝下くらいに柵がありますので、少し注意しないとマジで落ちそうな予感(^^;
20分程拝見した後は、お家のほうに挨拶して次へ…って、お隣にも古い神社と記念碑があるっぽいのでそちらへ先に行ってみます。
なかなか趣のある神社(=゚ω゚)
境内には看板に書かれている通り昭忠碑(招魂碑)がありました。
これも御縁と言うことで、こちらにも手を合わせて慰霊の念をば。どうか安らかにお眠りください。
次回、この旅最大の強敵が!