新潟縣護國神社
新潟縣護國神社(にいがたけんごこくじんじゃ)は、新潟県新潟市中央区にある神社(護国神社)である。
戊辰戦争から第二次世界大戦までの新潟県出身の戦死者を祀り、現在の祭神の数は79729柱となっている。
鳥羽・伏見の戦いから始まり、やがて全国各地に広がった戊辰戦争は、新潟市も例外なく激しい戦場と化した。西軍(薩摩、長州ら新政府軍)と東軍(米沢、会津、庄内)の両軍に多数の戦死者が出て尊い命が失われた。1868年(明治元年)の10月に新政府軍(西軍)側戦死者の墓碑を常磐ケ岡(旧新潟大学本部の跡地)に設置され、戊辰戦争の官軍戦没者416柱を祀って社殿を造立し新潟招魂社として祭られた。1875年(明治8年)に官祭招魂社に改称した[1]。 1941年(昭和16年)7月に内務省令により、官祭招魂社から護國神社と改称した。 (wikipediaより)
嶋清一
嶋 清一(しま せいいち、本名:島 清一、1920年12月15日 - 1945年3月29日)は、和歌山県出身の野球選手(投手)。
高校野球史に全5試合完封・2試合連続ノーヒットノーランの記録を打ち立て、「伝説の大投手」として名を残すものの、太平洋戦争開戦に伴う学徒出陣で召集され戦死した。(wikipediaより)
なかなか立派な境内・本殿なのですが、なんと本殿はガラス張りw 賽銭箱の向こうに並んだ座列があり、静かに神事が行われておりましたのを横目に柏手を打ちます。中は超あったかそう orz
挨拶が済みましたら周囲を探索してみます。
七五三のペコちゃんと言うレアな人形と、その奥に「明治大学戦没学徒忠霊殿」があります。ここには伝説の投手と名高い嶋清一も一緒に祀ってあるとの事。
野球にはあまり興味ないですが、当時色々と人生が変わってしまった若者も多かったでしょうね…。手を合わせて慰霊の念を送りました。
参道に沿って慰霊碑も多数ありました。
ひとつひとつの慰霊碑に手を合わせます。どうか安らかにお眠りください。
参道途中には「戊辰役殉難者墓苑」があります。
こちらにもたくさんの墓標がありますが、慰霊碑と全ての英霊に対して手を合わさせていただきました。
参道の終わり近くには「平和の礎」が。
どうか安らかにお眠りください。
こんな感じで1時間程参拝し、さぁ次の場所へ・・・と思ったのですが・・・
17時前でかなり暗くなりつつあるのですが(=゚ω゚)
カメラだと露光を拾って明るく見えますが、この時点で手元が見えないくらい暗いです。次の場所は1時間程離れた場所にある公園内の魚雷なのですが、真っ暗になってるのではと推察されてげんにょり。まさか北国の夜がこんなに早いとは・・・orz
この後の探索は打ち切りまして、そのままホテルへと向かいました。
まぁ次の日は3時半起きの4時出発なので丁度良いかもっス(つよがり)