垂見峠砲台(湯川山砲兵陣地)
本土決戦に備え、宗像・遠賀間の四塚連山のうちの湯川山(ゆがわやま;標高471.4m)と孔大寺山(こだいしやま;標高499m)のあいだにある垂水峠の北西部、稜線より東のやや下った所に2基のコンクリート盤洞窟砲台が築かれた。迷彩を施した砲台で、本土上陸を阻止するため三里松原海岸に向けて設置されたが、大島から移転された45式15糎加農2門の備砲直前に終戦となった、とされている。昭和20年5月以降の構築であろう。東側斜面下方の谷筋に軍道があるらしい。(福岡県の戦争遺跡より)
志賀島
志賀島(しかのしま)は、福岡県福岡市東区に所属する島である。博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続きである。
古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。また島内にある志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮であり、4月と11月の例祭において「君が代」の神楽が奉納される全国的にも珍しい神社である。(wikipediaより)
最近良い天気が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分は今日も今日とて午前中は道場で汗を流し、午後から出立して近所の戦争遺跡を見て参りました!
前回行ったダム飯ではちょっと寒さで非道い目にあいましたので、今回は現場近くのうどん屋さんでこっちでは珍しいうどんつけ麺を実食。美味しぅございました。
腹も一杯になったところで垂見峠は「湯川山登山口」から突入します。
入口から左へ道がありますが、ここは敢えてスマホに登録した(目分量です)場所へと進むため、右の藪へとダイブ。
無論道なんてありませんが、上記の資料だと「東側斜面下方の谷筋に軍道がある」との事でしたのでそちらを目指します。ところが…
や、無理ですなこれは。
一応軍道らしき谷筋は見つけたのですが、台風の影響らしく倒木が天狗倒しのように折り重なって前に進めやしません。仕方ないので崩れやすい斜面を何とか進んで登録した位置に…
あったぜ砲台跡!
ネットにあった地図をテキトーに見比べながら登録した場所がばっちりヒット!
奥は埋まっておりますが、それでも素晴らしい情景に写真を撮りまくります。やるじゃんワイ(=゚ω゚)
そして一息つきましたら、この先にあるというもう一つの砲台跡を…
…谷のドン詰まりに到着し、登山道に合流。
あれ?ワイ見落とした??(ダメじゃんワイ)
もっかい斜面を転がりながら(比喩無し)確認していきます。
・・・さっきの砲台跡に戻っちゃったのですが orz
もしかしたらこっちが奥にある砲台で、もう一つは手前にあって見落としたのかもと思い、今度は谷筋ではなく斜面に張り付いて(比喩無し)確認しながら戻ります。
あった!ありました2つ目の砲台跡!!
砲台の手前が大きく盛り上がってるため、下から見たのでは入口が見えなかったのですね…ここまで1時間近くかかっておりますが、何とか2つ目の砲台跡も確認することが出来ました。手足は泥だらけで全身汗びっしょりですが無問題。この後はまっすぐ車道の方向へ向かって脱出しました。
探索終了しまして現在16時前。このまま帰るのも勿体ない天候ですので、「いつでも行ける」と思って今まで行ってなかった「志賀町護国神社」へ向かうことにします。
志賀町のある志賀島はバイクで行くには丁度良い距離でして、今まで100回くらいは行ってる場所なのです(道路がつながってます)。
護国神社の看板横にどう見てもバイクでは登れない坂が続いておりますので、麓にバイクを置いて登りますと、すぐ上に鳥居と本殿が見えてきます。
とりま手を合わせて慰霊の念を送りました。
そこから右に少し道が続いておりまして、慰霊碑と忠魂碑が建っております。
見ると日進日露戦争からの、この地域の英霊を祀ってある模様。こちらにも手を合わせて慰霊の念を送ります。どうか安らかにお眠りください。
この後はいつも通りにバイカーの溜まり場へ向かいまして、少し駄弁った後に無事帰還いたしました。最近は陽が落ちるのが早いっスなぁ。