第6号潜水艇殉難之碑
第6潜水艇は明治39年、我が国で初めて建造された57トンの潜水艇であったが、明治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖で訓練中、事故のため沈没した。
佐久間艇長以下14人の乗組員は各自、最期まで持ち場を守り、従容として死を迎えた。特に佐久間艇長は苦しい状況の中で遺書を残し、将来の潜水艦発展のために、沈没の原因および沈没後の処置をしるし、さらに部下の遺族への配慮を望むなど、死に直面してもいささかも冷静さを失わなかった。そしてその崇高な使命感は、国内はもとより海外の人々にも深い感銘を与えた。歌人の与謝野晶子は「海底の 水の明かりに したためし 永き別れの ますら男の文」と追悼の歌を読み、またアメリカ国会議事堂にも艇長の遺書が原文のまま陳列されたという。
大正元年、その遺徳を永久に記念するため、この鯛乃宮神社境内に碑が建立されたが、終戦と共に碑は荒廃し、引き上げられ保存されていた潜水艇も、進駐軍の命により解体された。
しかし、昭和34年、殉難50周年を期に、高さ19メートルの壮麗な碑が再建され、あわせて潜水艇のスクリュー他も碑の中に保存された。また碑の側面には佐久間艇長の遺書がレリーフとしてはめ込れた。
大きな碑は呉市内を見下ろすように建っており、毎年4月15日には盛大に慰霊式典が行なわれる。(日本会議広島HPより)
美保関灯台
美保関灯台(みほのせきとうだい)は、山陰最古の石造灯台。1898年(明治31年)、島根半島の東端 地蔵崎の馬着山に、フランス人の指導により建設された。
「世界灯台100選」および「日本の灯台50選」に選ばれている。その歴史的文化財的価値が高さから、Aランクの保存灯台に指定され、灯台として初の登録有形文化財に登録された。毎年7月の第3月曜日の海の日には灯台内部が一般公開される。
敷地内には美保関地ノ御前島照射灯(航路標識番号 0849)が併設されている。また、沖合約4 kmに浮かぶ沖ノ御前島には沖ノ御前島灯台(航路標識番号 0850)が設置されている。
海上保安大学校のお兄さんに見送られ、資料館を後にします。
そしてそのまま近所にあります「鯛乃宮神社」へ…ここには以前に岩国で参拝しました「第6号潜水艇」の慰霊碑があります。
バイクで場所を探していると商店街の途中に案内板がありましたので、その指示に従ってゴー!
入口には解説の看板と結構な階段ががが。
さっきまで涼しかったんだけどなぁ…と懐かしみながら、陽の照る階段を登ります。この時多分気温が一番高いっス。
まずは本殿にご挨拶して、境内にある「第6号潜水艇殉難之碑」へ。
想像以上に超でっかい…
外板のレリーフや、中に安置してあるスクリュー等を拝見しながら手を合わせて慰霊の念を送りました。
そしてここから大移動!呉から美保関までゆるゆると進みます。 普通やらねぇ
途中で適度に休憩をはさみながら大体4時間弱…少し小雨が降る中、美保関灯台に到着です。
閉まってるやん…
後で調べたところ、この日(木曜日)は定休日との事。
外部にあるという「美保関事件」の解説レリーフを見に来たのですが、そちらも工事中で入ることができませんでした。
少しグズりだした天気の下、島根行は続きます。