第三四三海軍航空隊
1945年3月19日、米機動部隊の来襲による九州沖航空戦で迎撃に参加、「松山上空戦」が初陣となった。源田司令は「古来これで十分という状態で挑めた戦の例などない。目標は敵戦闘機、爆撃機には構うな」と訓示する。 事前に敵情の入電に成功した彩雲は、エンジン不調で米軍機に捕捉され被弾、高知県津野町の上空において米軍機に体当たりを試み、7時45分ごろ自爆した。
現在、自爆地点の東津野村に彩雲(遠藤稔/操縦、高田満少尉/機長、影浦博/電信)の慰霊碑「三魂之塔」が建立されている。(wikipediaより)
彩雲 (航空機)
彩雲(さいうん)とは、大日本帝国海軍が大東亜戦争(太平洋戦争)中期から運用した艦上偵察機である。試作名称はC6N。第二次世界大戦中では唯一、偵察専用として開発された艦上機である。「彩雲」とは、虹色に輝く雲を意味する吉兆天象である。(wikipediaより)
浦戸海軍航空隊
浦戸海軍航空隊(うらどかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。20000人にも及ぶ空前の志願者を募った予科練甲飛第14期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために耕作地を収用し、飛行場とバラック兵舎を林立させたものの、正規カリキュラムに移行するまで1ヶ月かかり、その間は生徒も施設構築に従事した。(wikipediaより)
紫電改展示館でゆっくり1時間ほど時間を過ごした後、高知の山中にあります「三魂之塔」を目指します。
予定ではそこまで切迫する時間じゃなかったのですが、ここで多少の問題発生。先日の大雨による土砂災害で寸断された道路がモロ被り・・・一度宇和島まで戻って塔へ向かうルートが最短とのこと。まぁ仕方ないので出来るだけ急いで向かう感じ。
まだそこそこ陽が射してるのでアレなのですが、道中霧が発生して前が見えませぬ。
この写真でもカメラの露光が効いてるのでこんな感じですが、結構暗いので車一台でギリギリな山道を慎重に走らせます。
慰霊碑の横にコンクリで固定してありますのが偵察機・彩雲の脚らしいです。
露光が効いてる写真では明るく見えますが本当の暗さは最後の写真レベル(マジ)。
坂の途中の三叉路にありますので、斜面しかなくバイクはまともに駐められません。多少上の方にありますマシな側道に駐めました。
人影も見えず寂しい場所ですが、せめてもと手を合わせて慰霊の念を送りました。
そして陽の落ち切る前に何とか山中を抜けることが出来ましたが、もうちっと早く来れてたらなぁ…。この日の宿に向かう途中で大雨にも合い、天候に恵まれないラストでございました。
そして次の日。
この日は生憎の曇天ながら、前日の天気を考えれば上出来の範囲。朝5時半起きの6時出発・・・というのも、昨日の予定だったのを雨天で延期しました「浦戸海軍航空隊跡地碑」と「高知県護国神社」へ向かうためでございます。
宿から15分ほどでサクッと到着。
すぐ近くに学校もあるようで、手を合わせると何とも言えない切ない気持ちになりました。
早朝の高知行、まだまだ続きます。