艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その206 柱島・海軍見張所(山口県岩国市)———— 2020年 6月7日

柱島

柱島(はしらじま)は、瀬戸内海西部の安芸灘の南西に位置する柱島群島の本島であり、北は倉橋島江田島、南は屋代島とその属島、東は中島をはじめとする忽那諸島に囲まれており、これらの島々の中央部に位置している。山口県岩国市に属する。

 島名の由来は、島内に多くの神様が祀られている島で神様は「柱」と数えるために柱島となったと伝えられている。現在も柱島に鎮座する賀茂神社には13の末社(須賀社・貴船社・稲荷社・住吉社・春日社・大歳社・若宮社・今宮社・新宮社・金比羅社・妙見社・天神社・猿神社)が境内に祀られており、元々はもっと多くの神様が島の中で祀られていたとみられる。

 かつては島の近海が日本海軍連合艦隊の停泊地(柱島泊地)になっていた。柱島泊地には当時、陸奥長門扶桑山城日向伊勢と多くの戦艦が停泊しており、軍と島民の交流もあったようで、連合艦隊総司令官であった山本五十六も柱島に上陸している。昭和18年(1943年)、戦艦陸奥の爆沈という事故が起こっており、この事故での犠牲者のため泊地近傍に慰霊碑がたてられており柱島島民も有志で慰霊している。(wikipediaより)

柱島泊地

柱島は幅2kmほどの小さな島であり、東側・西側ともに航路となっているため、島そのものが泊地であったわけではない。泊地の位置は柱島南西の沖合、周防大島と柱島諸島に囲まれた海域である。特に範囲が決められてはいなかったが、柱島の南西沖合北緯33度58分40秒東経132度24分5秒旗艦ブイが置かれていたことから、そこを中心とする認識があったと思われる。

艦艇の出撃には情島の東側にある諸島水道が狭隘であるが水深があるため用いられていたという。1976年のフェリーふたば衝突沈没事故以降、大型船舶の諸島水道進入は控えられている。

現在の自衛隊訓令における呉周辺の船舶定係港は「江田内:津久茂山山頂から250度に引いた線及び陸岸により囲まれた海面」とされており、この柱島泊地は含まれない。(wikipediaより)

 

 

緊急事態宣言解除

緊急事態宣言解除

緊急事態宣言解除

 

…と言うことでッ!(血涙)

やぁと県外に出ることがOKになりましたッ!!

まぁ宣言中は県内のダムの奥地に出かけていって、ラーメン作ろうとした挙げ句に箸忘れてコーヒーだけ沸かして飲んで帰ってきたりとかしてました(マジ)が、やぁと大手を振って他県に行くことが出来るようになったとですよ。

 

と言うことで、今回は陸奥の進水日に『貴方まだ柱島の陸奥英霊慰霊碑行ってないの?(意訳)』と言われてしまった(言われてません)柱島へ出かけて参りました!

 

ちなみに柱島へは山口県岩国市の高速船で向かうことが出来ます(約1時間)。日帰りしようと思うのなら、土日増便の10:00岩国発~14:15柱島発で行き帰りするのがオススメです。まぁ福岡から岩国までバイクでも3時間かかるのですが。

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無事に岩国港へ到着(朝5時起き)。

海上保安庁の巡視船が見守る中、高速船に乗り込んで柱島を目指します。ちなみに高速船内はワイ入れて4人。3密になりようがありませんがまぁこれはこれでw

ちなみにルートとして黒島-端島-柱島と通るのですが、端島は携帯の電波が届いてない模様。

この表示久しぶりに見たッスわ。

 

 

そして柱島到着。

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とりま先に陸奥の慰霊碑へ参拝して、時間あったら金蔵山頂上付近にある戦争遺構を拝見しようかなーとか考えながら下船したのですが、降りた途端に「役所の方ですか?」と声をかけられます。まぁ下船時の格好が「作業服っぽいコッパン&白ポロシャツ&バイクジャケット」というどう見ても釣客にも登山客にも見えない姿だったので仕方ないっちゃ仕方ないのですが…え?

 

現在島で土砂崩れが起きており、その修復作業工事があっているとのことで、自分を役所の人と間違えられたそうです・・・まぁ事情(慰霊&遺構見学)を伝えますと「登山口まで案内しますよ!」との事・・・え、ワイどっかで短パンとタイツに着替えようと・・・

 

マスクしたまま色々と事情を伺うお爺さまに連れられまして登山口まで。いいよ!この格好のまま登るよ!!と、登山開始でございます。

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登山道入り口に指してある杖を一本お借りし、ゆるやかに登山開始(11:08)。ちなみに左脇にバイクジャケットを抱えて左手にバイク鞄を持ってます。 ぶっちゃけ登山の格好じゃねぇ。

ちなみにここの登山予定時間が片道40分との事。できるだけ速く登れば陸奥慰霊碑へ向かう余裕ができるな・・・

 

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それなりに角度のある山道を一気に駆け上がります。おいら知ってるぜ。これ(↑写真)イノシシの足跡だよな?

 

途中イノシシ(足跡)蛇(ヤマカガシ)オオスズメバチ(群れ)と自然を堪能しながらの登山。

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ツイッターで見慣れた境界石さんを端目に分かれ道まで到達(11:22)。うむ、たいぶ急ぎましたな。

そのまま右の道へ向かいます。すると・・・

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伸びた下生えの向こうに貯水槽を発見!

落ちないように網で囲ってある様子。

 

 

そして更に上には・・・

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嗚呼、美しい。

一部屋根が残った状態で見張所がありました。その場に荷物を置いて写真を撮りまくります。

見張所窓からは木々が生えて下まで見下ろせませんが、戦中は見晴らしが通ってたんでしょうね。場所が場所だけに落書きなんかも少なくて素晴らしい遺構でございました。

 

写真多めにて次回へ続く。