長崎県軍民防空南串山第14監視所
昭和12年(1937)、長崎県が南串山防空監視所を旧南串山町国崎半島に設置したが、昭和15年(1940)からは場所を同町のここ城ノ越に移し、名称も長崎県軍民防空南串山第14番監視所となり、終戦の昭和20年(1945)8月15日まで存続した。
この監視所には、敵の来襲を察知して長崎市にある本部に連絡するという使命が与えられていた。
施設は、鉄筋コンクリート平屋建ての屋上に木造の監視室があり、当時の近代的技術を導入した高性能の望遠鏡と電話が設置されていて、1階部分には、当直室や炊事場があった。
監視に当たったのは、町内の住民の中から選ばれた所員で、3つの班が編成され、1班が10名で構成され、所長、副所長の指揮のもと、昼夜を問わず3交代で監視任務に当たった。(碑文より)
橘神社 (雲仙市)
1940年(昭和15年)の創建。地元出身で日露戦争に従軍、遼陽会戦で首山堡高地にて戦没した橘周太陸軍中佐(没後昇進)を祀る。
国道57号に面して大鳥居があり、境内には北村西望による橘の銅像やいずれも地元出身である天正遣欧使節でローマまで赴いた千々石ミゲルと江戸時代中期の南画家釧雲泉の記念碑がある。また、境内を含む公園はサクラの名所としても知られている。(wikipediaより)
橘周太
橘 周太(たちばな しゅうた、慶応元年9月15日(1865年11月3日) - 明治37年(1904年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇される。官位は陸軍歩兵中佐正六位勲四等功四級。(wikipediaより)
と、言うわけで昨日の続きでございます。
九勇士の墓碑からバイクで30分程海辺を行きますと、年始に行った串良の町が見えてきます。前回は港のほうに向かったのですが今回は少し奥から丘の上へ。
小学校の正面にありますこの記念碑。震洋の格納壕がある港が一望できるロケーションで素晴らしい見晴らしです。港の掩体壕も南串山の住民が一体となって手伝ったとありましたし、この監視所もそんな感じで運営されてたんでしょうねぇ。
これで本日の目的は終了・・・のハズだったのですが、今まで何度も行ったのにレポートしてない場所がありました。それが「橘神社」です!
1度目は長崎で仕事をしていた時の サボり 休憩地点として、2度目は今年の正月の長崎行で訪れていたのです。
ちなみに2度目の時は超満員の初詣客の中へ参道途中に突っ込ませられるというドSチックなナビゲーションにより退散したのですが、今回は人影もあまり無いようなので安心して臨めました。
入口駐車場のすぐ近くにあります「橘公園」の巨大像。なかなかいい顔をしてらっしゃいますぜ。
先程書いたとおり参道途中に通じる道もあるのですが、せっかくなので麓の駐車場にバイクを置いて参道を上ります。天気が良いので陽射しが心地よい・・・。
本殿に参拝した後は、左手にあります忠霊塔へ。
結構でっかい。静かに手を合わせて慰霊の念を送ります。
裏側には従軍記念塔、更に奥の墓地には橘中佐のお墓がありましたので此方も参拝。
また帰り道には原爆慰霊碑もありました。
どうか安らかにお眠りください。
こんな感じで晩冬を楽しんだショートツーリングでした。