目達原駐屯地
目達原駐屯地(めたばるちゅうとんち、JGSDF Camp Metabaru)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町に所在し、陸上自衛隊九州補給処等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
駐屯地司令は、陸上自衛隊九州補給処長が兼務。同駐屯地には他に目達原飛行場がある。駐屯地業務隊はなく、駐屯地業務を九州補給処総務部が担当する。鳥栖分屯地が隷属する。
また、かつては佐賀県警察のヘリコプター基地としても利用されていたが、現在は佐賀市の佐賀空港に移転している。(wikipediaより)
振武隊
振武隊(しんぶたい)は、1945年(昭和20年)3月26日から始まった沖縄戦における陸軍第6航空軍隷下の特別攻撃隊たる飛行部隊の総称である。各隊が固有の番号を冠し、フィリピンにおける「八紘隊」からの連番とするも欠番がいくつか存在している。また九州の6航軍とは別に、第8飛行師団隷下で台湾から出撃し沖縄戦に投入された特攻飛行部隊は誠飛行隊(まことひこうたい)と称され、振武隊と番号は被ることはない。
振武隊は大刀洗陸軍飛行場(福岡県大刀洗町)、菊池陸軍飛行場(熊本県泗水町)、隈之庄陸軍飛行場(熊本県隈庄町=現・熊本市南区)小月陸軍飛行場目達原陸軍飛行場等の陸軍飛行場(秘匿飛行場を含む)を中継し、鹿児島県知覧町(現・南九州市)の知覧陸軍飛行場と、万世町(現・南さつま市)にあった万世陸軍飛行場を中心に出撃した。また、宮崎県都城市の都城西飛行場・東飛行場や、指揮系統上、海軍の飛行場である鹿屋飛行場(現・海上自衛隊鹿屋航空基地)から出撃した例もみられる。(wikipediaより)
佐世保大空襲
佐世保大空襲(させぼだいくうしゅう)は第二次世界大戦中のアメリカ軍による、1945年(昭和20年)6月28日午後11時50分から翌29日午前2時頃までに行われた長崎県佐世保市に対する空襲(戦略爆撃)。この空襲による死者は、民間人を中心に1,242名に及んだ。(wikipediaより)
晴バイク雨プラモ(by諸葛孔明)
ということで本日予報は雨・・・の筈だったのですが、直前の昨日に曇り予報に変わりましたので、急遽近場で開催されているイベントと佐世保でまだ未見だった資料室を見学してまいりました。まぁ超曇ってますけど

本日の相棒はVスト250。CBRは前の旅行で3,000㎞近く乗ったしね…雨も降りそうな気配なので合羽を積んでのツーリングになります。
そんな感じで先ずは90分ほど、割と見慣れた道を通って「陸上自衛隊 目達原駐屯地」へ到着です!
入口の作りは他の駐屯地と同じ感じ。なんぞそういう決まりでもあるんでしょうかね。








先ずは軽く敷地内を一周。奥の空港でキモいくらいにグルんグルん動いてるヘリコプターや5階くらいの高さから一気にロープで降りてくる隊員さんを見て拍手喝采。
落ち着きました本日の目的地へ向かいます。
そして到着。


こちらが目達原駐屯地の広報資料館(写真撮影可)です。前回の久留米駐屯地でも勉強させていただきましたので、今回も楽しみにさせていただいた所存。入口の隊員さんにご挨拶して見学開始です。







館内は前後に区切られており、手前は自衛隊時代の展示、奥は旧軍時代の展示となっている模様。手前からゆっくり見学して奥へ向かいます…おぉ!?


最奥には超巨大な江下伍長像が!結構なデカさにびっくりですw
昭和8年製と言う事ですが、こちらに残っていたとは・・・肉弾三勇士・江下伍長の墓碑は以前にお伺いしております。
その他にも特攻の振武隊関連の展示も多く、知らない事ばかりで勉強になった次第です。目達原にもこんな話があったのですね…遺影のある場所の撮影は遠慮させていただきました。





時間を忘れて勉強させていただきました。
この後は途中の新中華でお昼をいただきまして久しぶりの佐世保へ。



廃校になった小学校を利用した建物「市民活動交流プラザ」の3階にあります「佐世保空襲資料室(館)」(写真撮影可)へ到着です!
元小学校の為に低めの階段を登ってお邪魔します。






こちらは佐世保空襲を中心に戦争の資料をまとめていらっしゃる模様。軍港佐世保も矢張り大きな被害を受けたのですね…管理のお爺様に色々なお話を伺いつつ、時間ギリギリまで見学させていただきました。
この後はいつもの道でゆっくりマッタリ帰還した模様。
そろそろ暑いかと思ってフルメッシュのジャケットで行ったら結構寒かった…今年の天気はなんか変ですな(^^;
こんな感じの曇天ショートツーリングでした。