航空機乗員養成所
航空機乗員養成所(こうくうきじょういんようせいじょ)は、1930年代後半(昭和10年代)に逓信省の外局である航空局が設置した民間航空機乗員を養成する施設。
主目的は民間機(主に郵便機)の操縦士を養成することであったが、有事の祭に動員できる操縦士を増やすという目的もあり、生活は軍隊式、所長はじめ教官も予備役軍人であり、卒業後は陸軍や海軍の航空部隊に入隊して予備下士官に任官するなど軍学校としての要素も強かった。庶民には操縦訓練の費用を工面するのが難しい時代に全寮制で実業学校相当の教育機関に無料で通えることから倍率は高かった。(wikipediaより)
諫早海軍航空隊
昭和19年3月15日に大村空の分遣隊として、長崎県諫早市小野の逓信省長崎地方航空機乗員養成所を接収して設置された。昭和20年3月1日に独立し、陸上機初歩訓練を継続した。諫早航空隊に附属して海軍病院が設置されたため、8月9日の長崎市への原子爆弾投下の際には、いち早く被災者の受け入れを実施している。司令は竹中正雄大佐が独立当日より着任し、解隊まで指揮した。(wikipediaより)
千々石(釜山)砲台
千々石第1トンネルのすぐ裏側に海岸高台があり砲台があった。かつて昭和12年(1937)まで鉄道の路線として使用されていたトンネルに横穴を空けて、砲台の出入りに利用していた。第102分隊稗田秋義少尉部隊が45口径3年式12糎砲を1門設置し、愛野砲台と同時展開していた。現在の砲台の壕はコンクリートで塞ぎ、また、フェンス囲いして外部から入れない状態にあり、トンネル内の横穴は、終戦後同じ石材で塞いで築き直してある。(Ⅰ 戦争遺跡・遺構 - 長崎県より)
京泊震洋特攻基地
昭和二十年三月十八日より五月二十六日までの約七十日間、小富士空十六分隊員(甲飛十四期生)約一三〇名は京泊・田ノ平地区の民家に宿泊して、京泊港の両岸の岩山に震洋艇を格納する掩体壕の構築作業に従事した。
この間、隊員達は南串山の住民と家族同様のふれあいの中、軍民一体となって任務の達成に努力して、震洋特攻隊を迎える運びとなった。
昭和二十年七月二十五日に第六五震洋隊岩切部隊(乙飛二十期生)が編成され、八月十五日に五〇名の搭乗員が五〇隻の震洋艇で京泊基地に進出した。しかし、いよいよ橘湾に米軍を迎え撃つ決意を新たにしたところで、終戦となった。
終戦後、昭和二十年当時の交情忘れ難く、旧練習生達は折を見て当地南串山を訪れ、昔に変らぬ堅い絆が現在まで続いている。(碑文より)
えー皆様、イベントの進捗は如何でしょうか。
昨日書いたとおりギミックは終了しましたので、blogが終わりましたらとうとうE-3のゲージ開始で御座います。どうなるか怖や怖や。
閑話休題、今日は雨が降らないと言う予報でしたので、バイクで長崎方面の戦争遺跡を探訪して参りました。
しかし今日の長崎の最高気温予想は8度との事・・・そこで以前にも少し書きましたが、去年の晩冬に入手しましたこいつの出番です!
バイク用電熱ジャケット(手袋付き)!!
中古で安く手に入れたのですが、アメリカ製だけあって超丈夫。その代り温度調節どころかパイロットランプも付いてないという漢仕様。スイッチはコタツの電源そっくりのON/OFFが付属してます…まぁ十分暖かいので問題なのですけど。
こいつを着込んでの出撃です。
天候は降雨は無いもののかなりの曇天。山間部は洒落にならない寒さで電熱部以外が超凍えそうです・・・何か考えないかんなこれは。
兎も角2時間程かけて諫早のはじっこへ向かいます。
そして到着。
ここに航空機乗員養成所があったという鎮魂碑なのですが、目の前の垣根が目隠しになって超わかりづらかったッス。ちなみに裏にあるソフトボール場の駐車場から入ることが出来るようです。
手を合わせて慰霊の念を送りました。
そこから同じ通りを歩いて5分。
今度はすごく判りやすい場所にあります、諫早海軍航空隊顕彰碑でございます。
慰霊碑とは違うのですが、こちらにも手を合わさせていただきました。
そしてそこから30分程、海岸沿いの裏道をゆっくり走っていくと…
一車線道路にしては結構車通りが激しいトンネルなのですが、こちらに千々石砲台の痕跡があるということでやってきました。広くなっている場所の端っこにバイクを止めて突入します。
トンネルの右側に坑道が掘ってあり、トンネル内部と繋がっていたとの事。現在はコンクリで詰められた上に柵で塞いであります。
戦時中はトンネルと砲台を行き来していたんでしょうねぇ…
一通り確認しましたら、今日の最終目的地であります「京泊震洋特攻基地之碑」へ向かいます。
無事に到着。
先ずは慰霊碑に手を合わせて慰霊の念を送った後、周囲の掩体壕を確認していきます。
今まで見た零戦の掩体壕と比べるとかなり急いで掘ったような感じがします。終戦直前ですもんねぇ…。
こんな感じで曇天下を楽しんだ1日でした。