陸奥 (戦艦)
引き揚げ展示品と展示場所
引き上げられた陸奥の砲塔の装甲や船体は、鉄屑として再利用された(もともと引き上げのコストは鉄屑の売却益で差し引きする予定だった)。陸奥船体に使われていた鉄は戦後の溶鉱炉の磨耗具合を調べるために耐火煉瓦にトレーサーとして仕込まれたコバルト60を含まないことから、日本各地の研究所、原子力発電所、医療機関における放射能測定において環境放射能遮蔽材などに用いられており、「陸奥鉄」の名で重宝されている。(wikipediaより)
愛媛縣護國神社
愛媛縣護國神社(えひめけんごこくじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社(護国神社)である。神紋は山桜花。拝殿には高松宮宣仁親王が揮毫した「護國」の額面が正面に掲げられている(昭和28年(1953年)の参拝時に奉納)。
戊辰戦争以来の愛媛県出身の戦没者のほか、軍属、女子学徒、看護婦、電話交換手、報国隊、義勇隊、富山丸・東予丸犠牲者、警察官・消防団・自衛隊等の公務殉職者、公共に尽くして県民に恩恵をもたらせた先賢諸士として加藤嘉明・藤堂高虎・久松定行・伊達秀宗をはじめとする各藩の藩主、足立重信、建武の新政から明治維新に至るまでに国事に殉じて贈位を受けた者、産業功労者として義農作兵衛、下見吉二郎、鍵谷カナ、文化人として尾藤二洲、近藤篤山、矢野玄道、正岡子規などを合祀し、49727柱を祀る。(wikipediaより)
ぼちぼち掘っておりますが、皆さんゴトランド掘りは順調でいらっしゃいますでしょうか。
自分も2隻目出ればなーとヨコシマな感じで掘ってる次第ですが、初月とウォースパイトは難無く出ました。いや、お前さん方も嬉しいけどプリンツを…
焼けるように暑い陽射しの下、途中のコンビニでシェイクを飲みつつ愛媛の海岸沿いをひた走ります。そろそろオイルに無理させてる走行距離なのがちょっと心配。
住宅街を抜け、山沿いのくねくねした道を登り、一般の墓地を越えて到着したのが「大谷墓園」でございます。
ここには大きな軍人墓地もあり、公園部分にはこれまた大きな忠霊塔が建っておりますので、周囲の慰霊碑と合わせて手を合わせます。どうか安らかにお眠りください。
そして今回の旅の大きな目的のひとつだったものは・・・
戦艦陸奥14cm副砲!!
慰霊碑の前なので、はしゃぐ訳にはいけませんが熱心に拝見させていただきます。
陸奥の副砲かぁ…いいなぁ…
水分の補給と少しの休憩の後、次は松山にあります「愛媛縣護國神社」向かいます。周囲がどんどん都会になっていくのがちょっとだけ判るッス。
多分この日で一番暑い時間帯。
バイクを少しでも木陰に入れて先ずは本殿参拝です。周囲が大学とかの設備に囲まれてるにしてはすごい静か。
本殿の横には零戦のプロペラと特攻の顕彰碑がありました。
こちらにも手を合わせます。
参拝が終わりましたら左方向に集まっています慰霊碑群へ向かいます。
こちらは山陰に隠れている上、風が良く通って涼しげな様子。手前の左側から慰霊の念を送らせていただきました。
皆さんのお陰で平和になりました。どうか安らかにお眠りください。
次はとうとう松山市内の町中へ突入です!