平生町歴史民俗資料館
暖な気候で山海の幸に恵まれたこの地域は、縄文の時代から人が住んでいた形跡が残っています。
その証拠に町内には縄文時代の遺物が数多く発見された岩田遺跡や、古墳時代のなごりとして神花山古墳・白鳥古墳などがあります。歴史民俗資料館には、それらの遺物等の貴重な資料が展示され、私達の祖先が古代どのような生活をしていたのか、またどんな文化が発達していたのかなどをうかがい知ることができます。
中でも 神花山古墳の石棺から発見された頭蓋骨をもとに、復元した女王の像は大変興味深いものです。
回天二型
遣独潜水艦作戦により伊号第八潜水艦がドイツより持ち込んだ新型機関を基礎に、過酸化水素と水化ヒドラジンを燃料とする機関(六号機械)を搭載して40ノットの高速を狙った大型タイプ。六号機械の開発が難航し、量産されることなく終戦を迎えた。本来ならば、この二型が回天の主軸を担うはずであった(wikipediaより)
阿多田交流館で見かけた手書きの地図…そこには、自分がチェックしていなかった回天関係の遺構や慰霊碑が幾つも載ってました。先ほど行った光文化センターの近くにもひとつ orz
実はここの近くに良さそうなつけ麺屋さんがあったのですが脳みそを切り替えます。
昼飯中止!昼飯中止!行けるだけ今日動くぞ!!
と言うわけで、すぐ近くにありました「回天碑」へ。
ちょっと入る場所が判りづらいですが無事到着。
入口がチェーンで閉まっておりましたので、チェーンの外から手を合わせて慰霊の念を送りました。
そしてそのまま海沿いを東へ走りまして「平生町歴史民俗資料館」へ向かいます。
かなり古い感じの資料館&図書館が一棟でつながっている資料館です。入口でスリッパに履き替え、中に入ろうとすると管理のおじい様がにこやかに対応・解説してくださいました。本当にありがとうございました。
内容は平生町の古墳時代に関する詳しい資料が多々。結構楽しい時間なのですが回天とか戦争関係のお話は全然無かったですw 解説していただいたおじい様に別れを告げ、どっか間違ったかなぁ…と周囲を見ますと…
ん?
まさか資料館の下にあるとは思いもしませんでした(=゚ω゚)
大きさ的には自分が屈んでも窮屈な胴体です。これは二型ですので実際には使われなかったものですが、本物の迫力に息を飲みました。こんなんが残ってるんですねぇ…
一通り拝見しましたら、今度は1時間ほど北上します。
無事に「麻郷護国神社(惣田山招魂場)」へ到着・・・したのは良いのですが、半端ない荒れっ振り(^^; 本殿にたどり着くまですごい数の蜘蛛の巣を払いながら無人の境内を歩きました。お賽銭を入れる場所もありませんでしたので、とりあえず手を合わせて祈りを捧げます。
奥にも何かありそうな予感がしまして、本殿横を抜けて裏へ回ります。・・・これは!
裏には予感通り、英霊の墓標が並んでおりました。
此方にも手を合わせて慰霊の念を送ります。どうか安らかにお眠りください。
ここからまた1時間程、更に海岸線を走りまして周防大島へ。ここは戦艦陸奥の沈んだ海に近く、自分にも色々となじみ深い場所でもあります。
ただ今回は陸奥記念館まで行っちゃうと帰りが軽く夜になってしまいますので、島に渡って20分程走った後、山のほうへ向かいます。
スゲェ傾斜+狭い道と言う地獄のようなつづら折り(バイクだと止まって切り返さないと登れない)を幾つか抜けまして・・・着いた!
一番奥に八幡様、途中には八田山維新墓地を挟みまして「大島護国神社」へ到着です!八幡様や維新志士の墓標にも手を合わせまして、その後落ち着いて大島護国神社へ詣でます。どうか安らかにお眠りください。
ここまで来て時間は概ね16時過ぎ。普通に帰っても19時は確実に過ぎる…まぁいいか!
朝飯を食ってから後はコーヒー1本しか腹に入れてませんが、行けてなかった慰霊碑を目指して「光文化センター」近くまで舞い戻ります。
文化センターの正面近く、釣り客でにぎわう波止場の端にありますのが「回天の碑」です。えらく遠回りしてしまいましたが訪れることが出来て幸いでした。とても綺麗にしてある慰霊碑に焼香させていただき、できるだけ真摯に手を合わせました。
こんな感じでショートツーリング終了でございます。
この後は近所のコンビニで黄な粉豆乳とたい焼きを腹に収め、すきっ腹を宥めつつ福岡へ戻りました。
壇ノ浦SAで休憩中に雨が降り出したので、勝ち負けでいうとこでは負けの模様 orz