東大野八幡神社
福岡県北九州市小倉南区に御鎮座する神社。1,300年以上の歴史があり、1749年(寛延2年)2月20日小倉城主小笠原忠基公が奉幣され、その恩恵を受けて再建された社殿には沢山の彫刻が施されている。また、御神木には子授けの御神徳があり、子授神社としても知られる。安産・お宮参り・交通安全・厄除などの参拝者も多く、近年ではカルスト台地・平尾台への初日の出を見に行く方が増え、平尾台の氏神様である東大野八幡神社へ初詣での参拝者も増えている。1月8日に井手浦地区で行われる尻振り祭りは、古くからこの神社の神官と井手浦地区の人々が執り行っている。2月3日の節分祭には、3体の鬼を5俵の福餅で追い払う鬼追い神事が行われる。(wikipediaより)
八景山護国神社
この地に建つ八景山護国神社は慶応二年(一八六六)の長州戦争以来、奥羽出兵や佐賀の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争、日中戦争、そして第二次世界大戦までの京都郡と行橋市の戦没者三千五百九十柱の霊を祀る神社です。
当社のおこりは、小笠原藩が明治元年(一八六八)十一月田川郡香春神社境内にに祀った「表忠祠」ですが、明治四年二月、香春からこの地に遷座したものです。
明治八年に「招魂社」と改称し、官費支給神社となり、昭和十四年四月には、内務省令により、八景山護国神社と改称しました。
昭和二十一年、「宗教法人八景山護国神社」となり、平成二年、京都郡都行橋市の遺族会や郷友会などの尽力によって社殿を改築しました。
例年四月十五日に大祭を挙行しています。(案内板より)
大連神社
大連神社、正字: 大連神社(だいれんじんじゃ)は、山口県下関市にある神社である。かつて日本の租借地であった関東州の大連市(現 中華人民共和国遼寧省大連市)にあった大連神社の神体を日本に持ち帰り再建したもので、赤間神宮境内社となっている。
というわけでこの日は晴れ!
昨日の今日で落ち着き無いですが、晴天を逃す手は無いと北九州ー大分ー山口の小さな護国社を周ってきました。
ちなみに17時から親族の集まりが有るということで16時半には帰宅しなきゃあかん…いつもは帰り時間なんぞ気にしないのですが、流石にツーリングで遅刻と言うわけにもいかず、夕方までに戻れるルートを選んだ次第です。 超めどい
先ずは北九州小倉「東大野八幡神社」の境内にあります「東谷護国神社」へ。
この神社、写真で見れる通りなかなかの風情なのですが老若男女カップルしかいねぇ。
子授けの神社か・・・ワイも単体繁殖できるよう願ってみるか?(できません)
邪念はもとより、本殿にご挨拶した後は周囲を探索。すぐお隣に護国神社を発見です。
中には明治天皇の御歌が貼ってありました。
どうか安らかにお眠りくださいとお祈りします。
そしてここからまた東へと向かいまして、次は八景山の上にあります「八景山護国神社」へ。まぁ小さな山ではあるんですが道が狭くてちょっと怖い。
到着…しましたが、表は完全に閉めてあって賽銭を入れる穴だけが(^^;
ご挨拶してから裏に続く道を登ってみます。
裏側には小さな神社と超でっけぇ岩(7~8mくらい)が。
岩は上に登れそうなんで、張り付きながら登ってみます…高いとこ苦手なんですけどねぇ自分(^^; 変な汗をかきながら景色を堪能しました。
そして次の場所へ向かってバイクを走らせます。次は宇佐市立和間小学校のすぐ近所ということで、小学校をナビで登録してゴー。
「忠魂社」とある鳥居の奥は草が茫々(^^;
『萬世不屈』『忠烈偉勲』と刻まれた柱間を通って境内に入ります。
正面には忠魂碑、左側には「分會長松岡松治之碑」という記念碑が。忠魂碑は蔦が絡まって流石にアレでしたので、少しだけ掃除させていただきまして改めて手を合わせました。どうか安らかにお眠りください。
ここまで来て現在は13時。16時半に福岡に戻れば良いわけですから…よし、もう一軒行ける!
というわけで急遽北上、下関にあります「赤間神宮」境内の「大連神社」を参拝します。はっきりいう。赤間神宮って超デーハーでスゴい。
あ、大連神社は本殿に向かって右側から上れます。
靖国英霊を奉ると言う大連神社へ無事参拝。
向かって左に祖霊舎、右には終戦時に割腹自殺した大東塾十四名の碑がありましたので、手を合わせて慰霊の念を送りました。
こんな感じの急ぎ足ショートツーリングでございました。
16時半帰宅はギリギリ間に合った模様。