艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その192 寄船海軍防空砲台跡地 & 第四十三号潜水艦慰霊碑(長崎県佐世保市)———— 2020年 2月9日

寄船海軍防空砲台

西海町北端の寄船(よりふね)に海軍高射砲台が配備された。西海町郷土誌によれば、昭和2、3 年頃との記述がある。高射砲の隣には寄船地区の氏神である琴平神社があり、この砲台は「琴平砲 台」とも呼ばれた。 当初は、50 口径8センチ高角砲4門、探照灯1基、聴音器1基、兵員数名の配備であったが、太平 洋戦争末期には、45 口径 12.7 センチ連装砲2基、25 ミリ機銃 10 基、12 ミリ機銃 2 基、150 セン チ探照灯1基、兵員 100 名に増強され兵舎も建設された。 また、昭和 19 年(1944)になると、新たにこの砲台の南方に 45 口径 12.7 センチ連装砲2基、25 ミ リ機銃8基、12 ミリ機銃1基、150 センチ探照灯1基、兵員 96 名が配備され、地元では「新砲台」と 呼ばれた。(長崎県Ⅰ 戦争遺跡・遺構より)

第43潜水艦沈没事故

大正13年(1924)3月19日、佐世保港外での演習中に第43潜水艦が軽巡洋艦龍田と接触して沈没する事故が起こった。艦内には生存者がおり、電話からは救助を求める悲痛な声が響いた。救助作業は46mの水深と早い潮流に阻まれて難航し、事故発生から十数時間後ついに艦内からの応答は途絶えた。ようやく引き揚げに成功したのは沈没から24日後のことであった。艦内には持ち場を守りながら息絶えた45名の遺体と多くの遺書が残されており、見る人の涙を誘った。

この事故は歌にもなり、沈没海面を望む鵜渡越には慰霊碑が建てられ、永く語り継がれることになった。(佐世保市HPより)

 

 

気象庁「長崎は今日晴れと言ったな?あれは嘘だ」

 

というわけでえらい目に合った…今日は前回行きました面高砲台跡地のすぐ近くにあります「寄船海軍防空砲台跡地」と「第四十三号潜水艦慰霊碑」に行ってまいりました!

それと今日は遺構や慰霊碑以外にもうひとつ、気になっていた佐世保グルメも一緒に堪能した次第です。なんか普通の旅行みたいw

 

とりあえず朝9時程に家を出発しまして、福岡を出るあたりまでは晴れていて非常に良い天気だったのですが佐賀に入って超本降り。ある程度防水のある筈のジャケットも裏地まで滲みる有様…佐賀を抜けたところで一応雨は止んだのですが、まぁ濡れた服を冷たい風で強力に吹いてる訳で…佐世保に着く頃には強烈に凍えておりました(^^;

 

 

そんな訳でまずは「佐世保バーガーKORON」さんで熱量を補給します。

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艦これバーガーセットをお願いしまして、ヤング赤城さんも一緒にいただきます(^^

とても美味しく、また是非お伺いして違う味のバーガーを所望したいです。

 

 

ちなみに店舗の写真を向かいから撮ってる時、爺さんの車にマイルドに轢かれましたw

バックでスーパーの駐車場から出る途中に後方確認をミスったようで、徐行レベルのスピードではありましたが後方ど真ん中にワイがヒット。

別段怪我もないのでやんわり注意したところ「そんなとこで写真撮ってるほうが悪い」とのたまうので「警察呼んだほうがいい?」と言うと途端に「自分が悪かった」と反省してた次第です。

バイク用ジャケット(背面・胸・肩・肘に防護バーツ)着てる上に普段食らってるタックルのほうが10倍きついということもあって無事でしたが、もしこれがご老人や子供だったら…と思うとちょっと怖い。まぁ乗ってる爺様も見た感じ80歳くらいだったのであんまり強く言えませんでした。

KORONのお兄さんにも心配をおかけしたようで申し訳無かったです。

 

 

閑話休題、こんな感じで熱量を確保した後、前回と同じ道を辿って砲台跡地に向かいます。砲台跡地は「琴平神社」の敷地周囲にあるということで、先ずは神社を目指してゴー。

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うん、なかなか斬新な感じの本殿。

とりまご挨拶しまして周囲の探索へ向かいます。

 

 

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とりあえず周囲をぐるっと一周。最後の写真の右上に、以前行ったK灯台手前の建物が見えます。こういう位置関係なのね。

 

 

そしてもう一度周囲探索…む、左奥になんぞある。

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こんもりした上に空気筒が2つ。そしてその下に石室が…これか!

ということで懐中電灯持って突入します。

 

 

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さほど深く無い通路の奥に8畳ほどの空間があり、基礎とコウモリが残っていた様子。

なかなか立派な遺構です。

コウモリを起こさないよう静かにこの場を去りました。

 

 

そして次の場所の「第四十三号潜水艦慰霊碑」へ。

この事件に関しては「史実で艦これ」でも扱っておりまして、軽巡洋艦「龍田」の事故との事です。

seiga.nicovideo.jp

 

こちらも途中までは以前来た弓張岳への道と一緒なので、見慣れた道をどんどん行きます。

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岩国にあります第六潜水艇もそうですが、潜水艦の事故というのは通常の事故よりもきつい気がします(--; どうぞ安らかにお眠りくださいと手を合わせました。

 

 

そんな感じで帰り道、いつも行く四ケ町アーケードにあります「佐世保ぽると総本店」さんに寄ってチャレンジパフェを食べる自分。少し前にツイッターで教えていただいてから一度食べてみたかったんですよねぇ。

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なんとか完食しましたが、昼のカロリーと合わせると非常に不味い感じの摂取量にw

こんな感じの寒い日曜日でした。