島原城
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。(wikipediaより)
霊丘公園
島原の歴史を見守り続けた鎮守、霊丘神社周辺に整備された自然公園。園内には、土の広場や遊具が設置されている他、島原鉄道で使われていた機関車が展示されている。また、春には250本の桜が咲き誇り、丘に登れば、眼下に広がる島原湾を見渡す眺望も楽しめる。(Walker+より)
諏訪神社
全国に約25,000社あり、長野県の諏訪湖近くの諏訪大社(旧称:諏訪神社)を総本社とする。また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)という。諏訪信仰は日本全国に広まっている。
諏訪大社の祭神は「諏訪大明神」ともいわれる建御名方神とその妃・八坂刀売神で、他の諏訪神社もこの2神を主祭神とするほか、「諏訪大神」と総称することもある。諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌に神霊が移され、各神社ではこれを神体としている。また、中世には狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝を受ける。これらは諏訪の神の山神としての性格を表している。(wikipediaより)
そろそろ夏イベに向けての資源も貯まりつつある毎日。
8月も半ばを過ぎまして、そろそろ暑さも和らいできたかなーという感じの日曜なのですが、今日は島原の指定外護国神社をゆるりと回ってきました。
先週の鬱憤を晴らすべく、ずんだシェイクやつけ麺等を食い散らかしながらの道中。明日は余計にトレッドミルやらんとなぁ orz
そんな感じで第一目的地、島原城に到着です!
・・・えー、島原城自体にはあんまり興味は無い(入り口でコスプレしたお姉ちゃんが超頑張って客引きしてた)ので、でかいのか小さいのか微妙な本城は放置、タブレットで確認しながら西ノ櫓を探します・・・あった!
島原城に向かって右側、ぶっちゃけ人の気配が全く無い小さな櫓が目的の西ノ櫓です。
この中には・・・
ここが「殉国慰霊堂」です。島原の戦災被害者を祀ってある場所なので、しっかり手を合わせて慰霊の念を送りました。
そこからバイクで10分程、次は「霊丘公園」内にあります「島原護国神社」を目指します。
公園内にあります「霊丘神社」へご挨拶。
その後は周囲の慰霊碑や小山の上にあるお稲荷さん等を巡っていきますが護国神社は見当たりません・・・
途方に暮れながら道向こうの山を見ます…あれ、なんかある?
グラウンドの向こうに階段があるようなので昇ってみます。
そこには・・・
あった、ここか。
あまりの雰囲気に戦慄しながら中に入ります。
殉難之碑と忠魂碑、その間にあるのが本殿のようです。本殿後ろに並んでいるのが墓標…色々な気持ちが交錯する中、気持ちを落ち着けて手を合わせました。
そこからまた10分。今度は島原の諏訪神社内にあります英霊社を目指します。
いつも通り裏側に案内するナビに導かれながら、入り口に周って本殿に参拝させていただきます。目的の場所は向かって右側。
英霊社と殉国英霊塔がありましたので、慰霊の念を送りました。
曇天(たまに小雨)という天候のせいもあってか、非常に気持ち良いツーリングを楽しめた次第です。
帰り道、佐世保のビッグマン四ヶ町アーケード店にて艦これセットを購入。
来月もコラボあるらしいですが、どうなりますやら。