比島観音
この観音様は、太平洋戦争の際にフィリピン方面で戦没された五十二万同胞の霊を供養するため遺族と戦友の手により建立され、像内にはルソン島サクラサク峠戦闘の戦没者の鉄かぶとを鋳込み、頭の飾りには比島十一の島々を彫り付け、比島観音と名付けました。
比島観音建立の母体となった戦車第二師団(撃兵団)は、ルソン島の戦闘で兵員の八割強を失っており、戦友とご遺族の会では観音様の建立を宿願としておりました。
建立にふさわしい場所を探し求めている折、等太山寺の故小笠原芳戒師より観音様建立の場所として敷地の御提供を頂き、全国の有志に呼びかけた結果、六千名を超える賛同者により昭和四十七年四月二日に比島観音の建立を見ることができました。
その台座及び造園はすべて戦友の手によって造成され、台座下の納骨堂には戦没者の英霊簿と遺品が納められています。
また比島観音建立を機にフィリピンの戦闘に参加された各部隊のご遺族と戦友により、慰霊碑の建立希望が相次ぎ観音様の周囲には四十五基の碑が建てられております。
比島観音建立の事蹟を永く後世に伝え、世界の平和と日本及びフィリピン両国の親善のために全国各地からご遺族戦友及び一般の方々の参詣を頂いて毎年四月の第一日曜日の十三時より比島観音例大祭が盛大に行われております。皆々様のご参詣を心よりお待ち致しております。
比島観音奉賛会(由来書より)
海を離れて次は山へ。ナビ通りに次の目的地「比島観音」に向かっていた・・・筈なのですが、久しぶりにYaho○ナビがポンコツになります。着いた先はどう見ても町中。
その場でGo○gleナビを起動して確認…やっぱ山の中やないか(-.-;)
とりあえずそこから10分程度っぽいのですぐにGO。
そんな訳で三ケ根山スカイラインを通りますが7割廃墟の店並にちょっと唖然。店らしい店が全く残ってないのですが、とりま比島観音に一番近いっぽい店(廃墟)の前にバイクを駐めて伺います。
そして見渡す限りの慰霊碑群。
階段を登ってきたのですが、観音様の反対側にもずっと慰霊碑があります。あまりの光景に呆然としながら、上着を脱いで参拝をはじめました。
これでもごく一部の慰霊碑を紹介させていただいております(写真は全慰霊碑頂いております)。
雑にならないよう、一つひとつの慰霊碑にゆっくりと手を合わさせて頂くと同時に、どれだけ戦争で亡くなった方が多いのかと目頭が熱くなりました。本当にありがとうございます。どうか安らかにお眠りください。
途中にあったエンジンとプロペラ。お詫びと訂正が潔い。
この旅一番の衝撃を受けつつ道中は続きます。