長野縣護國神社
長野縣護國神社(ながのけんごこくじんじゃ)は、長野県松本市美須々にある護国神社である。
明治維新から第二次世界大戦までの国難に殉じた長野県出身者を祀る。
昭和13年(1938年)11月、戊辰戦争で亡くなったすべての兵士のために、明治天皇により、長野県招魂社として仮社殿で創建された。昭和14年(1939年)3月に長野縣護國神社に改称し、同年4月1日に内務大臣指定護国神社となった。創建から2年後の昭和15年(1940年)に制定された松本市歌(作詞・高野辰之)の3番では「くにを護りの社殿は聳ゆ」と歌われている。昭和17年(1942年)、社殿・社務所・3つの鳥居などが竣工した。 第二次世界大戦後の一時期、「護国神社」の名称では軍国主義施設と見なされるということで、存続を図るために信濃国の枕詞に由来する「美須々之宮」に改称していた。1957年(昭和32年)4月、神社本庁の別表神社に指定された。(wikipediaより)
聖博物館
聖博物館(ひじりはくぶつかん、別称:麻績村立聖博物館)は、長野県東筑摩郡麻績村にある博物館である。
麻績村が「麻績村聖高原観光施設の設置及び管理に関する条例」に基づいて一般観光客などの利用に供することを目的に設置している博物館であり、聖高原の聖湖畔に位置する。
本館は木造2階建てで延べ床面積が303平方メートルであり、1965年7月20日に公開された。また航空資料館は木造2階建てで延べ床面積が99.3平方メートルとなっており、明治10年に麻績村立麻績小学校の校舎として建設された建物を、1971年に敷地内へ移築・復元したもので、移築に際して建物を縮小しており、1971年11月19日に公開された。
展示品は、本館内に民俗資料や麻績村開発誌、仏像や書画などの美術品、生物や岩石などの標本、動物の剥製など約1300点、航空資料館内に航空資料など、屋外にジェット戦闘機や蒸気機関車などが展示されている。
2012年にはリニューアルを実施し、木彫り羅漢像などを展示品に加えたほか、既存の展示品についても並べ替えや説明の追加を行った。(wikipediaより)
2日目開始の天候は・・・曇時々雨のち晴れ!
という訳で2日目開始なのですが、今回のルートでは富山から奥飛騨を通り長野へ抜けるルートを通るということで、天候の事もあって下着にヒートテックを装備という用心で向かったのですがまぁ甘かった甘かった。ヒートテックでどうこうなる気温ではありませんでした。
奥飛騨入り口で10℃を切る温度だったので多少用心していたのですが少し進んだ場所ですぐに5℃以下。持ってきてた防寒用の化繊ジャージを着込んだ上で雨合羽も装備して何とか凌げるというレベル気温でございました。
体幹はまだ何とかなったんですが、夏用のメッシュ手袋しか持ってきてないので指先が痛いくらいに冷たいッス。頂上付近では雪がスゲェ積もってるし…orz
そんな感じで奥飛騨を抜けて長野入り。ようやっと長野縣護国神社まで辿り着きます。
こっちは超好天で25℃近い気温。入り口の木の裏でクロスアウッして涼しい格好になりました。どんだけ気温差あるねん。
身支度も整ったので参拝開始します。
慰霊祭でもあったのか、境内にテントと椅子が並ぶ中を静かに通り抜け参拝します。嗚呼風が気持ちいい…。
参拝が終わりましたら周囲にあります慰霊碑を詣でます。
慰霊碑だけでなく周囲の花木との調和を考えたような配置が素晴らしかった…。桜がまだ八部咲きくらいだったので、満開の時に来てみたい場所ッスな。
そこから軽く1時間弱、今度は「聖博物館」へ到着です。
小さな湖畔にある、キャンプ場と併設された博物館。何故ここに来たかと言いますと…
そう! 我が嫁 陸奥の主砲!!
ここのは呉やヴェルニー公園のに比べて超ぞんざいに置いてあります。普通に触ったりできるんですよねぇ…。
砲の下には艦窓や錨鎖等が雨ざらしで置いてあります。…もうちょっと丁寧に展示してくれてもいいのよ?
砲身の先には台が備え付けてあり、砲筒を覗き込めるステキ仕様。
ここだけの話、自分の頭がスッポリ入るレベルの大きさで御座いました。
他にある野外展示もサクッと拝見します。
子供連れのお客さんも多く、楽しい雰囲気で拝見できました。
そして野外展示の後は室内展示へ。
手前は宗教的なアレ、左奥が航空博物館になってるらしいのでそちらに直行します。
こちらもまたぞんざいに置いてあるスターファイターのエンジンとコマンドのプロペラ&エンジン・・・なんでこんなとこに。
周囲に航空史を簡略化したパネルもあるんですが、まぁ目に入りませんw心ゆくまでエンジンを愛でさせていただきました。
帰り道でせっかくなので他の展示も拝見します。
うぅむ、エンジンと仏教を両立させる博物館・・・なんと素晴らしい(違
1時間程見学させていただきまして、次の場所へ向かいます。