愛野砲台跡地
愛野展望台南側の鼻先凝灰岩を掘削し45口径3年式12糎砲砲台2基を本体ごと、内部に設置していた。
砲台跡は奥行きが20メートル程度有り、戦時中は大量の砲弾が並べられていたという。(長崎県 戦争遺跡・遺構より)
航空殉難九勇士
太平洋戦争末期の昭和19年(1944)2月2日、旧陸軍の飛行機が濃霧と吹雪の悪天候に加えエンジンの不調により雲仙岳中腹に激突、搭乗の会津若松29連隊長、大島護大佐以下9名全員が散華された。この飛行機には前々日の1月31日、皇居正殿において当時の昭和天皇自らの手で渡された進軍旗が積まれていた。
当時の軍旗というと隊の象徴としてのほか、天皇の分身としてあがめられていた。この連隊は昭和17年(1942)10月ソロモン群島ガダルカナル島の激戦で玉砕、その後再建された連隊に新軍旗が下賜されマレー半島にいる現地部隊に帰る途中の遭難であった。
ここ旧千々石町に不運にも散華された勇士9名の名を刻み鎮魂と恒久の平和への祈りをこめ建立されたものである。(碑文より)
えー、まずご報告。写真保存してた外付HDDがぶっ壊れました。
概ねの分はblogに載せてたので無問題なのですが、それ以外の写真が全部消える羽目に・・・まぁ思ったよりショックは無いのです。また増やせばいいのですしw
そんな訳で久しぶりに晴れた本日、長崎は雲仙周囲の戦争遺構へ行ってまいりました!
3週ぶりの快晴日曜と言うことでウッキウキの出撃です。雲仙に関しては今年の1月に来訪しているんですが、この時はガイドにしていた長崎の戦争遺構pdfが閲覧停止になっていたので概要で判る部分だけ行った様子。再掲載していただきありがとうございました。
先ずは島原半島の入口・愛野にあります砲台跡を拝見します。
愛野展望台から見える風景は素晴らしいの一言。レストランや売店がある中の駐車場にバイクを駐めて周囲を探索します。
駐車場から少し道を下った場所から森へ入れそうなので、一通りの道具を持って突撃ッス!
朝までの雨で地面が多少緩い感じはしますが、そこまできつい斜面でもないのでスルスルと降りていきます。なんつーか経験的にこの辺かなーと言うインスピレーションで左側の谷のような箇所へ…あ、あった。
パっと見小さく見えそうですが高さが優に3m以上はある坑道でございます。奥は完全に埋まってて先はない様子。これは立派な砲台跡ですわ…。
他に何かないかと周囲を探索します。すると近くにそれっぽい小さな坑道を発見。ただ此方も先は埋まっていました。
もっと奥までと思って突撃したのですが森の奥向こうは普通に断崖絶壁。落ちるとガチで洒落にならないので一度道へ戻って再検索・・・道沿いに変な場所が。
ここは深い!
体中土まみれになりながら隙間に滑り込みます。
・・・と言っても5m程で行き止まりの様子。見た感じ手掘りの坑道みたいですが、これって軍用の防空壕か何かだったんでしょうかねぇ。
奥の方はゲジゲジの住処になってるようなので、行けるとこまでで退散しました。
昼食を展望台にある食堂で取っていたところ、店員さんが話しかけてくださったので今日来た理由を簡単に説明。「地元民だけどそんなのがあるなんて知らなかった!」と驚かれていると、厨房にいたお祖父様が「この辺は真珠湾攻める練習所とかあったんでそれかもなー」と仰ってました。小学生の頃に入り込んだことはあるそうです。
とても美味しいちゃんぽん(卵入り)を頂いて次の場所へ向かいます。
坂と棚田のどんづまりにある共用墓地。ここに「航空殉難九勇士之墓」はあります。
ていうかマジで坂しかないんですが・・・健康には良さそう。
ご焼香をして慰霊の念を送りました。
今回も写真多めにて次回へ続く。