菊池陸軍飛行場
昭和10年から軍用飛行場として建設が始められ、昭和15年の完成後には陸軍飛行学校も開設された。他に通信学校や陸軍病院等の施設があった。
給水塔のほか弾薬庫、油倉庫、格納庫基礎などの遺構が残る。
この給水塔は終戦後に設置された国立病院の給水施設や開拓団の生活用水として利用され、一時期は付近数百戸の民家と工場の用水をまかなっており、2007(平成19)年まで使用されていた。
陸軍航空通信学校
陸軍航空通信学校(りくぐんこうくうつうしんがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として航空通信に関する教育と研究等を行った。1940年(昭和15年)8月、水戸陸軍飛行学校内で開設され、同年10月近隣の新築施設に移転した。移転後の学校本部および本校は茨城県東茨城郡(現在の水戸市住吉町)に置かれ、兵庫県加古郡の加古川教育隊など各地に教育隊があった。(wikipediaより)
秋刀魚終わりました!
今回も去年と同じで6-5をだらだらと周回、割るついでに30匹集まった次第です。
リアル秋刀魚祭りには行けないので気分だけでも…(涙)
閑話休題、今日は良い天気に誘われて熊本県菊池市にあります「菊池陸軍飛行場」「菊池通信教育隊」関連の戦争遺跡と「菊池飛行場ミュージアム」を訪ねてみました。
最近は人吉ばかり行ってたのでアレなのですが近いな菊池。同じ熊本県内なのにここまで行きやすいとは思いませんでした。
とりま最初はミュージアムのほうから。
泗水の孔子公園にあります小さな一室。それが「菊池飛行場ミュージアム」(写真撮影禁止)です。中に入って驚きますが、個人運営の枠を越えた情報量と資料が所狭しと詰まっておりました。単に資料を並べるのではなく、判りやすく解説を端的に展示している感じ。
雑多でもなく簡素でもありませんので、しばらく夢中で展示を拝見しました。
そして自分がお伺いした時は偶然館長さんがいらっしゃっており、超濃いお話を1時間程もお聞きすることができました。運営の裏側から資料集めの苦労、現場の悲喜こもごもなお話をとても興味深く勉強させて頂けまして本当にありがとうございました。戦争写真のカラー化のお話がすごい楽しかったです。
そんな感じでミュージアムを堪能した後は、館長さんおすすめの戦争遺跡を拝見します。
先ずは国道の西側にあります菊池通信教育隊跡地へ。
営門より移設された門柱を使った鎮魂碑です。
手を合わせて慰霊の念を送ります。
そこからすぐ裏手には風呂場の跡が。
草いきれが激しく近くまで行くことはできませんでしたが、見た感じ大きな湯殿があるっぽいです。昔は屋根とかあったのか知らん。
そこからまたバイクに乗って今度は国道の東側へ。
こちらにも慰霊塔がありましたので、静かに手を合わせます。
すぐ手前には飛行場営門がそのまま残されておりました。
そして奥には話題になっておりました高架水槽が。
先の地震でモルタル部分がかなり損壊したそうで、補修に入ってるとのこと。12月に終了予定らしいのでまたお伺いしたいです。
少し戻るとガソリン貯蔵庫だった建物が。綺麗に残されているもんですな。
ちなみにこの建物の左半分は土建会社が現在使用しているらしく、車や看板がありましたので写真は遠慮しております。結構な大きさでございました。
更にそこからすぐの場所には木造格納庫の基礎部分が。
すぐ隣に小さなアパートが建っておりますがマジギリギリ。自分だったらすごい住みたい物件ですw
実はこの後、「大津町文化学習センター」にあるという四式重爆撃機「飛龍」の部品を見に行ったのですが・・・
平日のみは無理っす orz どっかで時間作って見に行くぜ
そのまま菊池渓谷を冷やかして日田まで山道をワインディング。秋晴れを堪能した一日でした。