千島艦事件
千島艦事件(ちしまかんじけん)とは、1892年11月30日に日本海軍の水雷砲艦千島がイギリス商船と衝突、沈没した事件。日本政府が訴訟当事者として外国の法廷に出廷した最初の事件であり、領事裁判権の撤廃問題と絡んで日本の国内外を巻き込む政治問題に発展した。(wikipediaより)
呂号第三十四潜水艦
呂号第三十四潜水艦(ろごうだいさんじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十三型潜水艦(海中6型)の2番艦。愛媛県伊予市の軍人墓地に忠魂碑がある。(wikipediaより)
須賀公園(愛媛県)
三机湾の西側入り口からのびた砂嘴(さし)の先端にできた砂州。
公園内には樹齢250~500年のウバメガシが茂り、県の天然記念物「須賀の森」の名称で指定されています。
海水浴場・キャンプ場に最適な場所です。
※キャンプ場は7月第2土曜日~8月いっぱいまで有料。(伊方町HPより)
九軍神
大東亜戦争中のハワイ海戦(真珠湾攻撃)において、甲標的に乗組み、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が「特別攻撃隊の偉勳」として軍神とされた。(1942年3月6日海軍省発表)
・岩佐直治 中佐 ・横山正治 少佐 ・古野繁実 少佐 ・広尾彰 大尉 ・佐々木直吉 特務少尉 ・横山薫範 特務少尉 ・上田定 兵曹長 ・片山義雄 兵曹長 ・稲垣清 兵曹長
潜航艇は1隻2人乗りで、生存者の酒巻和男少尉は捕虜となったのだが、大本営発表ではこの事実は伏せられた。但しVOAの報道により実態は密かに流布された)。
極光 (航空機
極光(きょくこう)は太平洋戦争末期における日本海軍の双発夜間戦闘機である。仮称銀河二六型。本機の名称である極光とはオーロラのことである。米軍のコードネームでは銀河とともにFrances(フランセス)と呼ばれた。 愛媛県西宇和郡の須賀公園にプロペラと基部が屋外展示されている。(wikipediaより)
昨日からプリンツ欲しさにダラダラ掘っていたのですがゴトランド2隻目が出ました。
もふもふレーダー欲しさにプリンツ掘りしてましたが、なんかもういいかなってなりつつあります。まぁ今週のあ号が終わるまでは掘っても良いかも。
閑話休題、予定終盤で色々と前倒ししたために予定の立て直しを迫られた自分。急遽この近所で行ってない場所を探して履歴を見直します・・・結構近所で見てない部分を2箇所発見。それが「千島艦遭難碑」と「呂号第三十四潜水艦忠魂碑」でした。
前者に関しては第二次大戦に関係ないため、後者に関しては幾ら調べても場所がはっきりしなかったため(後述)除外しておりましたが、折角時間がありますので行ってみたいと思いミュージアムカフェで検索検索・・・おし、行くぞ!
前に行った青山墓地にも慰霊碑はあったのですが、上記にある「千島艦事件」が松山沖で起こった事件とのことで此方に遭難碑があるらしいです。中で掃除されていたお婆様に挨拶した後、手を合わせて慰霊の念を送りました。
この日はここまで。ホテルに入って風呂と袋野菜もむっしむっし食べて早めに休養・・・の筈だったのですが、前記の「呂号第三十四潜水艦忠魂碑」の場所を探し始めたところから苦労は始まります。
自分が参考にさせて頂いてるソースでは「伊予市 蓮光寺」という場所が記載されているのですが蓮光寺は伊予市に無い…写真や情報もあまりなく、いつも遊んでいる「おーぷん2ちゃんねる」の艦これスレにも情報をお願いしてみましたところ、「Ingressのポータルに登録されてるっぽい」との情報ががが。Ingress…前に深夜の馬鹿力で伊集院光がハマってるって言ってた陣取りゲームだよなぁ。
お寺方面の情報収集では限界になっておりましたので、最後の手段でナビスマホにIngressをインストール。伊予市のポータルを虱潰しに探してみると・・・あった!!
マジであった!!!携帯のIngressのマップとタブレットのGoogle Mapsで照らし合わせて場所を登録します。
ちなみに時間は午前3時。朝7時まで寝る事にしてこの日は就寝しました。
寝不足気味の頭を起こしながら、ホテルの朝食で野菜を山程詰め込んで忠魂碑に出発です!
あった…良かった…
自分が知ったソース元の写真と風景が全然違いますので、多分ですが蓮光寺は廃寺になったとかでこちらに移設したのかなーとか想像してみます。伊予にある大きな墓地の片隅に作られた軍人墓地、そこに静かにありました。
折角なので軍人墓地全てに慰霊の念を送らせていただきました。
そしてそのまま最後の目的地、「須賀公園」へ向かいます。
須賀公園は鬱蒼とした森と静かな内湾を含めたキャンプ公園です。
連休ということで幾つかのテントが貼ってありました。
そしてその中央には、
「大東亜戦争九軍神慰霊碑」
真珠湾攻撃にて亡くなった方々の慰霊碑です。複雑な思いもありますが、どうか安らかにと手を合わせます。
そして夜間戦闘機「極光」のプロペラが隣に。ここまで綺麗に残ってるとは思いませんでした・・・素晴らしいです。
もっと奥には忠霊塔もありましたので、そちらも参拝させていただきます。
この旅行の総括です。万感の思いで手を合わせました。
これにて四国の旅程+αは全て完了です。
まだ午前中ですが、前日の寝不足もありますし、バイクのオイルも心配だったので早めにフェリーへ向かいました。
さらば四国。
こんな感じで四国一周・三泊四日・四十箇所巡りの旅も全巻の終了でございます。
次の長期旅行も考え中なのですが、まだまだ近くでも行きたい場所がありますので、冬の間はぼちぼち動きたいと思っております。
またお付き合い頂けましたら幸いです(^^